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暮らし

《心を整える方法》ステージ4のがん闘病中の医師が実践する「茶の湯」「五感を使ってもてなすひとときが、疲れた心を回復へ導いてくれる」

 家族の介護や通院の付き添い、日々の家事や仕事に追われるうちに、気づけば自分のことを後回しにしてしまう。そんな毎日を送っている人も少なくないのでは。現在ステージ4のがんと向き合いながら診療を続け、患者の心に寄り添い続ける心療内科医・婦人科医の横倉恒雄さんは、自らも闘病者であり支える側でもある立場から、心を整えるための知恵を日々の診療で患者さんに伝えている。そこで、介護や闘病の生活の中で疲れた脳の回復させるための方法を詳しく教えてもらった。

人は知らないうちに「役割の鎧」を着ている

 介護や闘病で心がすり減っていく日常を、横倉さんは「“誰かのために頑張る自分”という鎧を着込んでしまっている状態」と表現する。

「人は誰でも、気づかないうちに“役割の鎧”をまとって生きています」(横倉さん・以下同)

 仕事、家事、介護――。日々の生活の中で、「こうしなければ」「自分がやらないと」と役割を背負い続けるほど、私たちは本当の気持ちや心の余裕を置き去りにしてしまいがちに。責任感が強い人ほど、なおさらだ。しかしその一方で、自分の本当の気持ちや心の余裕を見失ってしまうことも少なくない。

「特に介護をしている人は、自分の時間を持つことに罪悪感を抱きやすい。でも、鎧を着たまま走り続ければ、心も体もいつか動けなくなってしまいます。だからこそ、鎧を脱ぐ時間を意識的につくることが、心を守るために欠かせない」と横倉さんは語る。

茶の湯が教えてくれる「自分に戻る時間」

 介護や闘病で心が張りつめたままの生活が続くと、「自分のための時間」がどんどん失われていく。そんな“張りつめた心”をそっとゆるめるヒントとして、茶道家でもある横倉さんが大切にしているのが、茶の湯の考え方だ。

 茶室は、外の世界から一歩離れ、役割や責任をいったん手放せる場所。小さな躙口(にじりぐち)をくぐる所作には、「社会的な立場や役割を一度手放し、ひとりの人間として茶室に入る」という意味がある。

「茶室は、本来の自分に戻る場所なのです。外の喧騒から遮断された小さな空間に身を置くことで、人は自然と社会の鎧を脱ぎ、心が静かになっていき、本来の自分を取り戻すことができます」

五感が働くと脳は自然と整う

 茶の湯の時間には、五感がゆっくりと目覚めていきます。「茶碗の手触り」「釜の湯の音」「床の間の花」「お茶の香り」「口に広がる味わい」こうした体験のひとつひとつが、張りつめた心をそっとほどいてくれる。

「五感が働くと、人の脳は“今この瞬間”に意識を向けるようになります。すると、自然と心が落ち着いてくるのです」

 忙しい生活の中では、つい過去の後悔や未来の不安に心が引っ張られがち。しかし五感を意識すると、今この瞬間に意識が戻り、緊張がゆるみ、脳はリラックスし、心が静かに整った状態に切り替わっていく。

一碗のお茶がくれる「心の余白」

 介護や闘病で心が張りつめた日々が続くと、ほんの数分でも“自分に戻る時間”が貴重になる。横倉さんが大切にしているのは、その小さな時間をつくるためのヒントとしての「一碗のお茶」だ。

 茶道では、亭主が茶碗を温め、お茶を点てるひとつひとつの動作に、相手を思う気持ちが込められている。その一碗のお茶には、亭主の思いや生き方が表れるとも言われている。客はその茶を静かに味わいながら、目の前の一杯に意識を向けることで、自然と呼吸がゆっくりと整い、心も静かに落ち着いていく。

「一碗のお茶を味わう時間は、自分の心と向き合う時間でもあります。日常の中で少し立ち止まり、自分の感覚を丁寧に味わう。そうした時間が、疲れた心を回復させてくれるのです」

 横倉さんは、茶の湯には言葉では説明しきれない“心を動かす力”があると話す。

「以前、ステージ4のがんを患っている友人にお茶を点てたことがあります。特別な会話をしたわけではありません。ただ同じ空間で一碗のお茶を味わっただけ。それでも友人はその後、“自分はどう生きたいか”を真剣に考えるようになりました。茶の湯の目的は、お茶を飲むことではなく、“人がどう生きるか”という美学を共有し、“心と心が静かに触れ合う時間をつくること”が本質と言えるでしょう」(横倉さん)

自宅でもできる「一服の時間」

 横倉さんは月に一度、クリニックでお茶会を開いている。参加者の多くが、横倉さん自らが点てるお茶を味わううちに表情がやわらぎ、肩の力が抜けていくと言う。茶の湯は、“自分を丁寧に扱うための時間”。 本来の自分に戻り、命を美しく生かすための時間でもある。五感を使って、もてなすひとときが、疲れた心をそっと回復へ導いてくれる。

 とはいえ、そのひとときに本格的な茶道をする必要はない。                   

「自宅で、好きなお茶を一杯いれて、心から味わうだけでも十分です。朝や夜の静かな時間に飲む、お気に入りの湯呑み茶碗を使う、窓の外を眺めながら一服する。そんな小さな時間でも、五感が働くことで脳は自然と落ち着いていきます」

 そして、闘病中の家族や介護をしている家族のためにも、心を込めて一杯のお茶を淹れてみてほしい。ほっと落ち着いた表情を見せてくれたなら、茶の湯の力を日々の暮らしの中で実感できるはずだ。

疲れた脳をそっとリセットするために

「病気や介護がある生活の中でも、心を整える時間はつくれます。ほんの数分で構いません。五感をつかって感じるだけで、人の心は静かに整っていきます。それはお茶でなくてもいいのです。道端の花の香りにふと足を止める、風の音に耳を澄ます――そんな身の回りの小さな快を見つけてみてください」

 茶の湯の考え方も、五感を心地よく働かせることも、決して特別なことではない。自分や大切な人をそっともてなす、小さなひととき。その積み重ねが、疲れた脳と心を整え、「生きる力」をやさしく灯してくれるのだと、横倉先生は伝えている。

教えてくれた人

婦人科・心療内科医 横倉恒雄先生

横倉恒雄さん/婦人科・心療内科医。医学博士。茶道家・表千家講師。横倉クリニック(東京・田町)院長。慶應義塾大学医学部産婦人科入局。東京都済生会中央病院産婦人科に勤務、同病院にて日本初の「健康外来」を創設。病名がない不調を抱える患者さんにも常に寄り添った診察を心がけている。クリニックで行っている講座も好評。著書に『脳疲労に克つ』『心と体が軽くなる本物のダイエット』『今朝の院長の独り言』他。

取材・文/入江由記

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