《66回目の結婚記念日》上皇さまを支えられた美智子さま 「テニスコートの恋」から50年以上経っても変わらぬ仲睦まじさ かつて手を出して“発煙筒”からかばったことも
2025年4月10日に66回目の結婚記念日を迎えられた上皇上皇后両陛下。おふたりの強い絆がうかがえる仲むつまじいシーンを振り返る。
初めて出会ったテニスコートで息の合ったプレーを披露
上皇ご夫妻が初めて出会ったのは1957年8月、長野・軽井沢のテニスコートだった。おふたりは「ABCDテニストーナメント」でダブルスで対戦し、美智子さまのペアが勝利した。“テニスコートの恋”と呼ばれるこのときの運命の出会いから2年後に結婚された。
2009年4月、結婚50年を迎えられた際の記者会見でプロポーズの言葉を問われた上皇さま(当時は天皇陛下)は何度も電話で美智子さまと話されていたことを明かした。
「私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。
何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思い出します」
ご静養の際、この思い出のテニスコートにたびたび訪れられており、2013年にはご夫妻で(当時、上皇さまは79歳、上皇后さまは78歳)ペアを組まれ、息の合ったプレーをされている。
咄嗟の判断で上皇さまをかばった美智子さま
1992年10月4日、山形県で開催された「べにばな国体」(第47回国民体育大会)の開会式に出席された際、事件が起きた。上皇さま(当時は天皇陛下)がスピーチをはじめると、上皇ご夫妻に向かって男が発炎筒を投げつけた。そのとき、美智子さまは上皇さまをかばうように咄嗟に右手を差し出した。
男が取り押さえられると、美智子さまはすぐに手をおろし、落ち着いた様子で元の姿勢に戻った。美智子さまの身を挺してかばう姿から上皇さまを守りたいというお気持ちがうかがえた瞬間だった。
また、別の場面でも咄嗟の判断で上皇さまをサポートされたことがある。2019年2月24日、「天皇陛下御在位三十年記念式典」で、上皇さまがおことばが書かれた原稿を読まれていた際、美智子さまは隣で上皇さまを見守っていたときだった。
上皇さまがおことばを読まれている途中、原稿を取り間違え、1枚目の原稿を再び読み始めるハプニングが起きたが、美智子さまがすぐに読むべき原稿を手渡し、フォローした。
上皇さまに寄り添い続ける美智子さまの姿は多くの人に感動を与えた。
結婚50年の記者会見で明かされた感謝のおことば
お隣で支え続けた美智子さまに対し、結婚50年の記者会見で感謝のおことばを述べられている上皇さま。
「結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。皇后はこの度も『努力賞がいい』としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことや辛いことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います」
美智子さまも結婚50年を振り返り、上皇さまに対し、感謝の気持ちを述べられた。
「この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としての、お立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います」
お互いの“愛情”に感謝の気持ちを持つことが、“夫婦円満”の秘訣なのかもしれない。
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