猫が母になつきません 第414話「ことば」
《よろづの事は頼むべからず。愚かなる人は、深くものを頼むゆゑに、恨み怒る事あり。》
この「頼む」というのは「頼りにする」とか「あてにする」というような意味。徒然草ではこのあと人をあてにしてはいけない理由がつらつらと羅列されるのですが、最後は《寛大にして極まらざる時は、喜怒これにさはらずして、物のために煩(わずら)はず。》という言葉で結ばれます。600年以上前のよしなし事が身に染みます。
母が亡くなったあと、私に「最期までみてくれてありがとう」という言葉をくれた人がいました。その人は母の弟(つまり私の叔父さん)で、職業は絵描き(売れない)、飲んだくれのプー太郎なので親戚中のやっかいものです(ひどい…苦笑)。でも母にはよく電話をかけてきていたし(母から一方的に切られることたびたびでしたが)、子供や孫たちと一緒に庭の梅の実を採りにきたこともありました。母の死を親戚には家族だけで葬儀をすませたあとで伝えたので(しかもLINEで)、私はこの叔父が「なぜすぐに知らせないのだ」と怒って家までやってきたらどうしようというような心配さえしていたのですが、予想に反して私の長文の報告への返信は「わかりました。最期まで姉をみてくれてありがとう」という簡潔な感謝の言葉でした。ひらがなばかりの意味不明な文章とか、私がぜんぜん知らない人と一緒に鍋してる写真とか、浜辺に自分が描いたスケッチと海岸のゴミを並べておいた謎のインスタレーションとか、一瞥してすぐに画面を閉じてしまうような内容しか送ってきたことなかったのに…。
「ありがとう」その意外な言葉に私はしばらくフリーズしていました。こういう人がストレスもあまりなく「寛大にして極まってる」のかもしれません。
作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母と暮らすため地元に帰る。ゴミ屋敷を片付け、野良の母猫に託された猫二匹(わび♀、さび♀)も一緒に暮らしていたが、帰って12年目に母が亡くなる。猫も今はさびだけ。実家を売却後60年近く前に建てられた海が見える平屋に引越し、草ボーボーの庭を楽園に変えようと奮闘中(←賃貸なので制限あり)。