猫が母になつきません 第400話「12年前の私へ_その2」
400話です。こんなにこの連載がつづくなんて、もう母がいないなんて、母がいなくなってもまだ描いているなんて…想定外のことばかりです。
読者の皆様には感謝しかありません。ひとりでも決して「孤軍奮闘」ではありませんでした。いろいろあってもここで話すことができました。それに応えてコメントをいただけました。それがどれほど私の救いになっていたか。「全国的にいいつけてやる!」とぷんぷんしながら描き始めても、描いているうちにどうでもよくなったり笑えたりすることがほとんどでした。
そのせいか私たちが落ち着いた生活をしているように思われたかもしれません。でも実際はそうでもありませんでした。12年前の私が想像できないくらいこの12年の間に私は怒り、壊し、苦しみ、叫び、泣きました。私が母にほんとうに優しくできたのは、母が亡くなる前の数ヶ月だけだったのではないかと思います。
母が施設を移ってから私は週2〜3回のペースで面会に行っていました。母が塗り絵をしたりみんなで体操をしたりするのにつきあって、叱咤しながらリハビリを見守り、車椅子を夕食の席まで押してから帰るのがパターンでした。ある日私が「また来るね」と言って帰ろうとすると、母が「忙しかったら来なくてもいいわよ」と言ったのです。意思の疎通も難しかった母が私を思いやる言葉をかけてくれたことに驚き、その回復がうれしくてスケジュール帳にもそのことを書き留めたほどです。
しかしその半月後、母は脳出血で入院しました。すこし良くなったりまた悪くなったりを繰り返し予断を許さない状況だったこともあり、私は毎日かかさず面会に行きました。最初は少し話せていた母もだんだん反応がなくなっていました。「また来るね」そう声をかけても、酸素マスクをして目を閉じたままじっと動かない母からはもう何もかえってきませんでした。つづく
作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母とくらすため地元に帰る。典型的な介護離職。モノが堆積していた家を片付けたら居心地がよくなったせいかノラが縁の下で子どもを産んで置いていってしまい、猫二匹(わび♀、さび♀)も家族に。