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連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第41回 急展開…」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した母と千葉・勝浦で暮らす飯田さんが、母との日々を美しい写真とともに綴ります。

 暑い夏に、事件が起こり、飯田さんと母の生活が転機を迎えることになりました。

勝浦も暑い!今年の夏

 全国的な比較で涼しいとされる勝浦でさえ、焼けるような太陽のパワーに押され、今年ほどエアコンのお世話になっている夏はない。それでも東京からやってきた友人は「別天地のよう」だと言うから、都心の暑さがいかにすごいか…。

 母の隠居部屋は西にあり、さらに屋敷の西側には大木があるので木陰になり、一日中意外に涼しい。とはいえ、風が無い日はエアコンの除湿をかけて、室温に注意し、時間を見ては水分の補給を促す。

 新家族の犬のハルは標高1700mを超える高い山で生まれたせいか暑さにめっぽう弱く、昼間は外に出ることを拒否する。犬にも熱中症があるというからそれが賢明であろう。

→ハルを迎えたエピソードを読む

 母がショートステイに行っている間、ハルの故郷の山田牧場にキャンプに出かけた。その帰路には新潟へ寄り、群馬県川場村では、夏祭りの撮影のためのキャンプもした。山田牧場ではハルの母犬や祖母犬、姉妹犬と久しぶりに親交を深め、ハルも大喜びだった。

 川場村は、この夏の特別な暑さのせいだろうか、利根川水源の渓流でも水が少なく、鳥の声も静かだった。しかし、コロナ禍による制限のない、3年ぶりの村祭りでは村人の意欲が一気に盛り上がり、暑さをもろともせず、力を振り絞って神輿を担ぐ姿に、私は感動を覚えながらシャッターを切った。

 そんな撮影旅から家に戻り、まもなく母もショートステイから帰ってきた。そして再び、母と犬のハルと私の3人の日常が始まった。

「2週間前に切った爪がさすがに伸びてたね。髪はまだカットしなくて大丈夫?あ、鼻毛も切らなくちゃね」と母の身支度をチエックする。

 そういったお手入れは、大人になってしまえば各自が人知れずするものだが、今の母にとっては、自分で感知出来ないこととなってしまった。鏡を見ても気づかなくなるのである。そう思うと人が最低限の身だしなみを保つには、意外と手入れがいるということに気づかされる。

 それに比べたら犬や鳥、野生動物は完璧である。寒暖によって勝手に体毛が生え変わり、脱皮したりという具合。母もつい先日まで当たり前に自分の事は自分でやっていた。特に若い頃は髪の毛や体毛の悩みもあったのかもしれないと、ふと思ったりする。

ハルが母に飛びついた

 ある朝、事件がおこった。

 いつものように朝食の準備が整ったと母を部屋に呼びに行き、ハルが飛びつかないように母を連れて一緒にダイニングの部屋に入った。朝の挨拶に飛びつきたい欲求のある子犬のハルをいさめながら母をテーブルに着かる。

「ママ、テーブルに食事を運んでくるから動かないでいてね」

 母が動くとどうしてもハルが興奮するので、何度も母にそう伝えた。そして料理を並べ、さあ「いただきます」となってすぐに珍しく母が「あら、ちょっとトイレに行きたくなったわ」と席を急に立ちダイニングのドアを開けた。

 ハルは部屋から出て行く母に対して以前から過剰に反応し、吠えしていた。牧羊犬のDNAのせいなのか、母が弱者であることを察知しているのか、犬に聞いてみないとわからないのだが。なので、いつも私は母が部屋を出る時には、ハルにリードをつけコントロールするようにしていた。しかし、この時は咄嗟のことで対応できず、ハルはすでにトイレの前に移動し、母の動きを阻止すべくかまえていた。

「ハル、どいて~、トイレ行きたいのよ!」と母。後から私も「ハル!ノー!、おいで!」と号令をかける。と同時に、母はトイレのドアノブに手をかけたその途端、ハルがその母の手に飛びついたのだ。

「痛い!!」と母。押さた手に血が滲んでいる。見ると柔らかな皮膚が破れ、血管のある場所だったせいもあり出血していた。すぐに止血の処置をしたが、なかなか血が止まらない。

「軽くご飯を食べたらすぐに病院行くからね!」と私。

「そんな大袈裟な、こんな傷たいしたことないじゃない」と母。

「ダメだよ、ほらまだ血が止まってないでしょう」と私。

 母は、食後しばらくベッドに横になるも、手を動かしてしまい血が止まらなかった。その血は滴り、母の周りはまるで夏の日のホラー映画のような状況だ。

 私は、前にも、ハルのせいで母の腕に傷を負わせてしまいあんなに反省したのにまた繰り返してしまった、そんな自分に嫌気がさしていたが、努めて冷静になるようにし、病院へ母を連れて行った。

 傷の場所が血管近くだったこともあり2針も縫うこととなった。麻酔の注射や診察の間、痛みに顔を歪める母。受診後は、包帯を巻かれた右手で帰宅した。

  家に留守番させていたハルも彼なりに反省をしているような姿に見えた。

ケガしたことを覚えていない母

 しばらくベッドに横になっていた母の部屋をのぞくと、なんと、母は包帯を取ってしまっていて、枕元には血が滴っているではないか!

「ねえ、安静にしてなくちゃダメ!」

 母はきょとんとした顔をしている。

「さっき病院で傷を縫ったでしょう?」と私。

「そんなことあったの?覚えてないなあ。痛いけど」と母。

 私は、傷のある手を母が触らないようにビニール袋をかけ、ガムテープを手首に巻き、「本日、手のキズ2針縫った。安静に!」と太い黒マジックで書いた紙も貼った。

 きっと忘れてしまうだろうと、半分想像しながらも「お願いだから今夜はこの手を触らないでね」と母を諭し、部屋を出た。

 翌朝、予想通り母のベッド周りは血痕だらけで、手にかけたビニールも貼った紙もどこかに消えていた!まだ完全には止血していないため、またしても部屋は事件現場状態だ。

 生後3カ月半の子犬とはいえ、日に日にパワーを増してくる雄犬のハル。この子にとっても今が一番、躾が大切な時期だ。

 そして、傷口を触らないで安静にするように伝えても、忘れてしまい出血を止められない母。一体どうしたら良いのだろう?と、私は頭を抱えてしまった。

 暑さだけでも頭がくらくらするのに、さらに車のリコール検査、ハルのワクチン、などやらねばならないことが目白押し状態だった。

施設入所を決断

 そんな時ふと、以前ケアマネさんから勧められた長期入所できる施設のことが頭をよぎった。ケアマネさんから、介護老人保健施設(老健)の利用も視野に入れてみてはどうかという提案があったのだ。その時に一度見学に行き申し込みだけはしていた。その後、施設の方も看護師さんと我が家を訪ねてくれて、母との面談も済ませていた。あとは主治医による施設向けの診断書を作るための検診を受けるのみとなっていた。

 しかし、その件を私はできるだけ先延ばしにしようとしていた。ショートステイと自宅の行き来という今のパターンに母も満足していたし、私もこのサイクルを崩してまでして早急に100%入所という気持ちも起こらなかったからだ。

 人の手を借りる必要に駆られ、藁にもすがるような思いで電話をしてみると「明後日からちょうど1床空きが出ます。もしその日から入所が可能でしたらお受けします」と担当の方。

「明後日からの入所となると明日には主治医の受診をされてください。診断書はあとで持ってきていただいても構いません」

 そんな施設職員の方の英断もあり、本来なら待ち状況もあったはずの入所が可能になった。

 渡りに船的な咄嗟の判断をし「はい、大丈夫です。よろしくお願いいたします」と答えた。この返事を見送ったらまたいつまで待つかわからない状況になる。まずは契約のために自分1人で施設に出向き、書類にサインをした。こんな契約はもう3回目になるだろうか。最初はもう5年前のことだ。父なき後の母との暮らしはもうそんな年月が経ってしまっていた。そして、その年月の感覚がない自分に気がついた。

 あまりに急な展開で、母の気持ちが心配だった。

「ママ、明後日から施設に行くからね。前のところと違って新しい場所よ」と伝える。

「ああ、私は若い頃に仕事していたでしょう?だから環境にも順応できるのよ」と母。

 でも、93歳という年齢を考えると、いくら「長生きの血筋だから」と言う母であってもいつ何があってもおかしくない。

「まったくいつまで私は母といなくちゃいけないの?」と先が見えない母との暮らしに苛ついていた自分がつい先日のようでもあり、遠い昔のようでもある。今では心から「長く生きていてほしい」と願う自分がいる。

 遠方にいる弟にも施設に入る旨を電話で伝えると「うん、それがいいよ。もう家に戻ることは考えなくていいと思う。姉貴もういいよ、やりすぎくらいにやってきたよ。お疲れ様でした」言う。

 そんな言葉を受けて気が楽になったような反面、自分の気持ちの中ではまだ母との介護生活に終止符を打つ準備が出来ていない。

 そう、ハルの躾をしっかりとして準備が整ったら…と、自分の中では今回の施設入所は句読点にすることにした。また家に元気で戻ってきてほしい。

 施設に母を無事送り届け、その帰路の運転中、ふとこんなシーンが脳裏に浮かんだ。

 私が生まれ、初めて開けた瞳に映ったのはきっと母の顔。そして、母が瞳を閉じる時、その瞳に最後に映るのがこの私であって欲しい、と。

 思えば、幾度も母をうざったいと感じたことはあったのに、いよいよ母とのお別れが現実味を帯びてくるとこんなに寂しさが込み上げてくるとは…。自分でも想像していなかった。

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

 

写真家・ハーバリスト。 (公社)日本写真家協会会員1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は千葉県勝浦市で母と犬との暮らし。仕事で国内外を旅し雑誌メディアに掲載。好きなフィールドは南太平洋。最近の趣味はガーデン作り。また、世田谷区と長く友好関係を持つ群馬県川場村の撮影も長く続けている。写真展に「海からの便りII」Nikon The garelly、など多数。
写真集に「海からの便りII」「長崎の教会」『Bula Fiji」など。

HP: https://yukoiida.com/

 

 

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この記事へのみんなのコメント

  • すぷーん

    出社途中に、LINEニュース見て拝見しました。私は66歳です。母は、93歳。2人暮らしを、10年続けて、6月に転倒。肩骨折でリハビリ入院を経て来月施設に入所します。 疎ましく思った事もあったのに、空っぽの部屋でなみだがでます。 あ、同じ思いの方がいらっしゃるのね、と エッセイ読んで、思わずコメントいたしました。ありがとうございます。

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