井上順さんが語る補聴器生活20年「難聴を公表したらたくさんの優しさに巡り会えた」
井上:29才からの9年間、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の司会を務めましたが、その頃は周囲の声に即反応できました。でも、40代終わりから50過ぎにかけて聞きづらさを徐々に感じるようになりました。
50代半ばになると映画館の音量が小さく思えて、「すみませんが、スピーカー近くの席にしてください」とチケット売り場の窓口で頼んだこともあるくらいです。舞台を観に行っても役者の声が客席からは小さく感じたり、人と対話中にBGMが流れるとうるさく感じて、相手の声や言葉が聞きにくくなったりもしました。
オバ:あ、実は最近の私がそれです。わかります、わかります。
井上:極め付きはテレビドラマのリハーサル時の本読みでした。10人くらいが集まって台本の読み合わせを始めるんですが、離れた席の人のせりふが小さいなと思ったから、「もっと元気出していこうよ。声が小さいよ!」と仲間を鼓舞するつもりで言ったら、みんながキョトンとした顔しちゃって…。
「ちゃんと聞こえましたよ」「え~!?」「順ちゃん、耳鼻科で一回診てもらった方がいいんじゃない」っていうことになって、調べたら感音難聴と診断されました。お医者さんから「突発性難聴なら治る可能性もあるけれど、井上さんの場合、加齢と耳の酷使による難聴なので治療は難しい」と言われて、さて困ったなと思いましたね。
オバ:それはショックだったでしょうね。
井上:ええ。体は動くし頭も働くのにね。だから、話し相手に近寄るとか、聞こえているふうに装うとかして…そのときは補聴器のことは一切頭にありませんでしたね。
オバ:補聴器に“老い”のイメージを抱いて、それに抵抗感があったりしたのかしら?
井上:そうですねぇ…耳が悪いと「え、何? すみません、もう一回」と会話の流れを止め、話の腰を折ってしまう。そんな申し訳なさから、耳の聞こえづらさを隠したり、補聴器を避けたがる心理が働くんじゃないかと思いますね。
難聴になって初めて、普通に相手の声を聞いて普通に言葉を交わし合えることのありがたさ、幸せさがわかりました。ただ、いくら隠してみたところで聞こえないことに変わりないから、次第に自分の耳に不信感を持つようになって、人との会話も引き気味というか、消極的になっていったのも事実です。
オバ:それは順さんのキャラじゃないし、らしくない。
井上:それからしばらくして気づいたんです。人と交わることが大好きな人間なのに、最近の自分は引いちゃってる。このままじゃいかん、と。難聴と診断されてから約1年。よし、補聴器をつけようと決意しました。
初めての補聴器に衝撃を受けた
井上さんがかかりつけの耳鼻科医から紹介されたのが、「リオネット補聴器」のお店だ。そこで右耳にオーダーメードで耳あな型補聴器を作ることとなった。
オバ:自分用の補聴器を初めて作って、つけた感触はどうでしたか?
井上:ポンとつけた瞬間、「何これ!? すごいすごい」と感動しましたねぇ。こんなに聞こえるんだぁ!って。右耳用を作った後、左耳用も作って両耳で聞いたら、さらにビックリ。「嘘でしょう!」というくらい、音の世界が両耳に広がって、天と地がひっくり返るくらいの衝撃を受けました。
オバ:私の母親は「補聴器をつけた瞬間、キーン、キーンと鳴るのが嫌だ」と愚痴をこぼしたことがありましたが、順さんはそういう雑音はなかったですか?
井上:キーン、キーンという音はなかったけど、食事のときにスプーンやフォークがお皿に当たる音が気になったりしたことはありましたね。
オバ:そこのところをメーカーのかたに聞いてみたいのですが、太田さん、補聴器をつけても“気になる音”っていうのがあるんでしょうか?
太田昌孝さん(以下、太田):初めて補聴器を使ったかたが気にされる音として、食器の音、紙をめくるような音、トイレなどで水がジャーッと流れる音などがありますね。補聴器はそこに存在している音を大きくして耳に届けるもので、あとは本人の能力で自分の聞きたい音とそうでない音を選別して聞き分ける必要があります。音は耳で聞いて、脳で選別しているんです。
難聴の人はその能力が衰えているわけですが、補聴器をつけると急にいろいろな音が聞こえてきてビックリしてしまう。音を聞き分けることに慣れるには時間もかかるし、個人差もあるものなんです。