兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第124回 初老々介護実施中】
50代で若年性認知症を発症した兄と暮らすライターのツガエマナミコさんに、60代が近づいてきました。兄も今や63歳。このまま老々介護になるのだろうか…。ツガエさんの胸中は複雑です。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えてきましたが、なかなか“明るく”なれないことも増えてきた!?
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ハイテク化のスピードについていけない
兄がデイサービスに週1で通い始めて半年ほどが過ぎました。大きな変化がないことは、お薬が効いていて且つ施設で筋トレや手先の作業などをやってくださっているからにほかなりません。「自分の名前も書けなくなったの?」「パンツの前と後ろもわからないの?」といった落胆は数えきれないほどありますが、家で暴言も愚痴も独り言もこぼさず、機嫌よくテレビを観ていてくれることは、かなりありがたいことだと思っております。
若年性認知症は進行が速いと読んだことがあったので、兄はずいぶんとゆっくり進んでいるように思っていました。でも57歳での発覚ですから定義上は若年性ですが、実質は初老であり、老人性認知症なのですよね。今はもう63歳ですし……。
かくいうわたくしも59歳間近。マジか? これはもう初老々介護です。
先日、ネットで認知症介護の動画を拝見しました。地方のテレビ局が撮影したであろう80代夫婦の老々介護と、100歳の母親を80歳の息子が介護している老々介護の様子でした。頑固だったり、徘徊があったりでわが家よりもうんと大変そうなお2人暮らしでした。わたくしより20歳以上もの先輩方が老体に鞭を打ち、夫のため、母のために献身する様は、自分の怠惰さを浮き彫りにいたしました。わたくしはまだ、楽な介護だと認めざるを得ません。
わたくしがもう少し才能豊かでサクサク仕事ができたなら、この介護生活ももう少し違ったものになっただろうと思います。余裕があればわたくしだって兄にやさしくできるはず。でもわたくしは仕事が遅いのです。遅いがゆえに時間に追われ、兄の存在にいちいち気が散り、さらに遅れる。今頃になって知的好奇心が旺盛になったところで、基礎がないうえに老化をはじめた脳は思ったほど良くなってはくれません。介護で傷んだ心を立て直す時間も多めに必要で、執筆スピードは落ちるばかりでございます。
本当に頭がいい人は仕事がめちゃめちゃ速いことを、先日、売れっ子経済アナリストに取材してみて思い知りました。彼のピーク時のお仕事量を聞いてびっくり。なんと一番忙しかったときはテレビやラジオのレギュラーを月10本以上、雑誌や新聞の連載は35本以上、さらに講演も月10本はあったというから殺人的でございます。結果病気になったというお話でしたが、その方曰く「連載も20本ぐらいまではしんどかったけれど、それを超えるといくらでも無限に書ける気がした。どんな原稿も30分あればだいたい書ける」とのこと。
わたくしはどんな原稿でも1本書くのに1日かかります。ひどいと1週間ぐらい悩みます。そんなときにお便様掃除をさせられたりすると、精神崩壊が起こって「わたくしも認知症になりたい」と思ったりしてしまうのです。
たまに原稿を早めにあげて、頑張ってお休みを作ったときに限って、急にパソコンの調子がおかしくなって丸一日復旧にかかってしまうことがあります。ちょっと前には、取材対象者に「ZoomじゃなくてTeamsでお願いします」と言われて、Teamsというリモート会議アプリを新たに導入するのに1~2日かかり、せっかくのオフ日を台無しにしました。簡単にできる人には数分で済むことなのかもしれませんが、昨今のハイテク(これは死語?)化のスピードに旧式昭和脳は追いつくのに青息吐息です。
“死語”で思い出したのですが、先日Youtubeで「“テクシー”は昭和の時代に“てくてく歩くこと”と“タクシー”を組み合わせてできた流行語で今は死語」と紹介されており、昭和生まれ、テクシー育ちのわたくしは思わずのけぞりました。なんなら今でもジョークまじりに「テクシーで行きましょうか」と言ったりする世代でございます。画面の中の高学歴博識青年は「へぇ~、歩くことをテクシーって言ってたんだ。知らない、知らない」と笑っておりました。
使わないのは当然としても聞いたことぐらいはあるだろうと思っていたわたくしは衝撃を受けました。こうやって人は順番に老人になっていくのですね。
あと10年もすれば、ここは立派な老々介護現場。いつまでも世の中の中心世代だと思っていたらいつのまにか端っこ構成員。そうです、私たちアラ還(アラウンド還暦)兄妹です!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ