ジャーナリストが母の介護を回想「貯金が着々と減るサスペンス」
約2年半にわたり認知症の母を自宅で介護。その体験をまとめた『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』(日経BP社)を出版した科学技術ジャーナリストの松浦晋也さん。
「介護は終わりのない主婦業のようなもの」──その過酷な介護体験を語る。
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アルツハイマー型認知症の母の介護
当時80才だった母の異変に気づいたのは2014年の夏。私は母と2人で暮らしていましたが、「預金通帳が見つからない」と頻繁に言うようになったのがきっかけで、アルツハイマー型認知症だと診断されました。通販で大量の買い物をしても覚えていない、食事は何を作っても「不味い」と言い、失禁も──症状は日に日に悪化するばかり。
フリーランスで働いていたので仕事量を減らし、なんとかなると思っていたものの、ストレスで眠れなくなり、ついに幻覚を見るまでになりました。ライターとして徹夜は当たり前のハードな仕事もしてきたはずですが、比べものにならなかった。私が主体となっての実家での介護が、母がグループホームに入る2017年1月まで続きました。
介護は主婦業と似ていると思います。朝起きて子供のご飯を作り、洗濯や掃除、身の回りの世話をする。子供の世話と違うのは、成長せずに悪くなる一方だということ。
老いたときどうするか…「明日は我が身」
失禁の始末、洗濯など1つ1つの作業は頑張ればできるのですが、小さなストレスが重なって大きくなっていく。自宅だと逃げ場がないんですよね。見かねた弟の助言もあり、介護認定を受けてデイサービスの利用を始め、負担がかなり減りました。それでも進行する症状に合わせて次々と介護態勢を組み替えていくのはなかなか大変なことでした。
母の症状が進行すると、仕事を減らさざるを得ません。最悪時、収入は半分以下まで減りました。口座から貯金が着々と減っていくサスペンスは、経験しないとわからないでしょう。
2016年の秋、とうとう母に手をあげました。夕食の準備が遅れ、母が「お腹がすいた」と台所をあさって散らかすことを繰り返したある日のことでした。理性ではやめなければと思っていても、「やったぜ」という解放感からやめることができなかった。母を施設に入所させることに決めたのはその時です。
私は弟や妹たちに運よく助けられ、ここにいるのだと思います。毎日介護に追われていた時は誰かに「相談できる」ということにすら気づけませんでした。何かが少しズレていたら、違う方向に進んでいたかもしれません。
母を施設に入れてからは、ほぼ元通りに働けるようになりました。でも私ももう56才。 今度は“自分が老いる時にどうふるまうか”を、今から考えておかないといけないと思っています。「明日はわが身」なので。
※女性セブン2018年5月10・17日号
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