シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<16>【連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。
桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。
シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」に訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。
そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。
飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。
宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!そして、ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上した。宿に戻り、歓待してくれた主人夫妻にも自著を手渡して、一緒に楽しいひと時を過ごす。その際、「セント・デイヴィッズ」の現在の高位聖職者の写真も見せてもらう。翌朝は早々に目覚め、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れると、その写真で見た聖職者、参事司祭に偶然、出会う。そして、前日渡した本のお礼を言われるのだった。
* * *
(2017/4/11 セント・デイヴィッズ)
VI そして、「奇跡」は起きた【3】
●バスとタクシーの折衷案
さてティー・ヘリグに戻ってきたところで、私は朝食前にグレッグに確認しておきたいことがあった。
タクシーはどこでつかまえられるか、あるいはここにタクシーを呼んでもらえるか、ということだ。で、グレッグに尋ねたところ、思わぬ大反対にあった。
「なぜタクシー? 高いよ。とても高い。バスがあるのに、お金がもったいない。ぜったいバスで行くべきだ」
「いや、タクシー料金が高いのは織り込み済みだ。時間のロスをなくしたいし、少しでも早くペンブロークに着きたいんだ」
「タクシーを使うにはペンブロークは遠すぎる。ふつう、そんな距離ではタクシーは使わないよ」
グレッグは地元の人がどんなときにタクシーを使うのかをよくわかっている。そういう彼の考えからすれば、バスの路線がちゃんとあって、はるかに安く行け、もちろんタクシー専用の近道なんてあるはずはなく同じ道を行くのに、タクシーを使う理由がわからない、ということになる。
確かに道理だ。乗り継ぎがきちんと行けば、目的地への到着時間も大して変わらない。
ただ、私はすでに決めていたことでもあるし、また、あの猛スピードの、乗り心地は二の次でガタガタ音を立てて走るこちらのバスに、2時間揺られ続けていたくないという本音もあった。
日本のジェントルなバスに乗り慣れている私には、いや日本人には、ウェールズの野性派バスは少々面食らう。もちろん、これは単純に慣れの問題だが。
いろいろグレッグとやり取りした末、ここから乗り継ぎ地点のハーバーフォードウェスト・バスステーションまではともかくバスで行き、そこから先はタクシーにする、そうすればタクシー料金は半分になる、と半バス半タクシーでいくことになった。
グレッグも私がバスの乗り心地を気にしていることは気がついたようだったし、私も予算十分とは言い難い旅をしているから、実際のところタクシー代を半分にできるのはありがたい。
それにしても私の旅が無駄な出費で高くつかないようにと、グレッグが気を配ってくれていることはよくわかり、これは純粋に嬉しかった。
そして、もうひとつ有難かったのは、11時3分のバスの出発時刻ギリギリまでここにいてまったく構わないと言ってくれたことだ。
ティー・ヘリグのチェックアウトは規定では10時だから、本来なら私は1時間、どこかで潰さないといけないのである。
昨日のチェックインも早く入れてくれたことといい、夫婦の温かいホスピタリティが心に浸みた。
●1勝1敗
タクシーかバスかの問題が解決したところで私は食堂に入った。
食堂といっても小ぢんまりとした部屋でキッチンと隣り合わせにあり、エリンとグレッグが作った料理をすぐに運べるといった按配だ。
4つあるテーブルの2つがすでに埋まっていた。若いカップルと、中年のおじさんであり、この2つのテーブルの客はすでに食べ終わり、ゆっくりと紅茶を味わっている。
彼らは地元の人たちで、ここに朝を食べに来ているとグレッグ。B&Bはそういう場所でもあることをこのとき知った。
グレッグが私のことをみなに紹介する。
「彼はね、4年前に日本に遠征したときの我らの『レッド・ドラゴンズ』の写真を持っているんだよ。トーキョーでの歓迎パーティのときのやつをね。エドウィナ大臣とも彼は一緒に写っているよ」
えっ、と皆が一様に驚いた表情をする。さっそく私はスマホのアルバムアプリにある写真を彼らのテーブルの脇に行って見せる。
「お、やつがいる。こいつは今ではレッド・ドラゴンズの中心選手だよ」
顔見知りの選手を見つけて、にんまりする中年のおじさん。
「日本の代表チームと試合したんだよね。どうだったの?」
興味津々に聞いてくるカップルの男性。小さな食堂があっという間に賑やかになる。ウェールズの人はみんな心からラグビーが好きなんだと感じる。
余談だが、ここまでもそうだったがこの先も、これらスマホの写真をウェールズの人々に見せるたび、どこでも私の周りにちょっとした人の輪ができた。
そして、そういうとき私は、この時のレッド・ドラゴンズ遠征チームは日本のナショナルチームと2つのテストマッチを行って、”one won, one lost”(1勝1敗)だったと伝えた。
すると、「ふーん、そうだったかあ」と皆、納得した風情で聞いていた。
この彼らの反応は、私にはちょっとした驚きだった。
というのも、昔の日本代表チームの実力は、それはそれは散々なもので、例えば1995年の南アフリカで開かれた第3回ラグビーワールドカップでは、日本はウェールズ戦において10対57で完敗した。
しかしこれはまだいいほうで、この大会の最終ゲーム、ニュージーランド戦に至っては17対145という、いくらニュージーランドが相手でも128点差の、おい、それはないだろうのhelplessとしか言いようがない記録的大敗を喫し、多くの日本ラグビーファンのトラウマとなった。
だから、そんな日本代表チームに勝って当たり前、もし負けでもしようものなら、ウェールズの人々は驚愕し、大騒ぎするのに違いないのである。
しかるに今回の旅行では、人々は日本代表チーム相手に1勝1敗という結果を、実に素直に聞いていた。
やはり、これは2015年、ウェールズの隣、イングランドで行われた第8回ラグビーワールドカップで、日本が優勝候補筆頭の強豪南アフリカを初戦で破り、決勝トーナメントには惜しくも進めなかったものの3勝1敗という、過去とは比ぶべくもない素晴らしい勝ちっぷりを示したからである。
だから、日本チームと2試合して”one won, one lost”という結果は、今のウェールズの人たちにはそれなりに納得できるのである。やっぱりスポーツは強くないと話にならない。
●豊かなウェルッシュ・ブレックファースト
エリンとグレッグが作り、テーブルに運んでくれた朝食はとても美味しかった。
いわゆるウェルッシュ・ブレックファーストで、大皿に盛られたベーコン、目玉焼き、ブラックプディング、マッシュルーム、ベイクドビーンズ、ハッシュブラウン&トマトといった面々である。
もちろんトースト付きで、また別テーブルにはシリアル、ミルク、ブドウや青りんごも置かれていて、お好みで食べられる。
カテドラルに行ったおかげで私は空腹だったので、大皿の料理はすべて平らげた。
ただ、たくさんあったトーストはさすがに全部は食べきれず、残りの数枚と青りんごを例によって昼食用に、エリンに頼んでラップで包んでもらった。
今日も昼食時は移動中だから、たぶんレストランとかパブとか、食べられる処には寄れないだろう。何か、朝の残りを昼に回すのが、この旅のスタイルになりつつある。
若い頃は3食しっかりと平らげないと、とても体が持たなかった。でも、いまはそうでもない。厳密に3食を摂らなくとも平気である。
一人旅は、だからいい。全て自分のペースだし人に気を遣うことはない。
複数の旅だったら、昼を抜く、あるいは朝飯の残りでいいなんて言ったら、必ず誰かから文句が出る。その結果人に気を使い、人のペースに合わせ食べたくないときに食べて調子を狂わす。
絶対に行きたいところへは、カミさんとか、よほど気の合う「同志」でもない限り、一人で行ったほうがいい。
食べ終わった私は、グレッグに誘われてティー・ヘリグの庭に出た。
お屋敷のようにそんなに広い庭ではないが、しかし芝がきれいに敷かれ、手入れも行き届いたいい庭である。夏にはバーベキューができるという。
庭の周りは背の低い草木でできた生垣で囲まれ、西側には海が広がっている。敷地の隅には背の高いモミの木もあり、クリスマスシーズンには最高の雰囲気を出してくれることは間違いないだろう。
いい家であり、いいB&Bだ。
グレッグはここセント・デイヴィッズの生まれで、以前は都会のカーディフで仕事をしていたが、割と最近故郷に戻ってきてB&Bを開業したのだという。
セント・デイヴィッズはとてもいいところだと彼は言う。
そうだろうな、と思った。「411のバス」でここに来た時、何となくそれがわかった。
かつて巡礼たちが通ったであろう寂しい、険しい道が行きついたところにある、小さいがカラフルで、とてもお洒落な町。カテドラルとともにある門前町であり観光の町。
ここで生きていくのはそれなりに大変だろうけれど、でも人生の峠を越えたときには腰を落ち着けてみたいところ。
ともかくグレッグとエリン夫婦は人生の大波小波に揺られながら、ここに棲家を築いた。
こう私が勝手に邪推するせいかもしれないが、少なくともこの宿は私には温かい。
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。