《邪道じゃない介護》プロレスラー・大仁田厚が直面したデイサービス経営の現実と介護職の待遇改善の必要性 「介護職の人たちが“自分も心豊かになれる”って思えるような環境を作らないとダメ」
プロレス界で「邪道」と呼ばれ、幾度もの引退と復帰を繰り返しながら、今なお熱狂的なファンを魅了し続けるプロレスラーの大仁田厚さん(68歳)。リングでの激闘からは想像もつかないが、ホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を持ち、かつて介護施設を設立し、自ら現場で高齢者の体操指導を行っていた。施設の運営を通じて直面した介護現場の厳しい現実や、そこで働く人々への思いを聞いた。【全3回の第2回】
プロレスラーとして観客を満足させる技が、介護の現場でも活きた
――10年以上前になりますが、大仁田さんは都内でデイサービス施設を経営されていました。どのような経緯で始められたのでしょうか。
大仁田さん:そもそものきっかけは、お袋が「やりたい」って言ったからなんですよ。施設の代表はぼくの昔からの友人で、ぼくは経営の指揮を執るというよりは、現場のスタッフとして、体操を担当していたんです。
1回の体操の時間は30分くらいだったかな。人間の体って、動かさないとどんどんダメになっていくんですよ。だから「グーパー、グーパー」って手を動かすだけでも筋肉にはいいんだよ、って教えたりして。体を動かすと血流がよくなって温かくなります。
――利用者の方々には、どのような思いで体操を教えていたのですか?
大仁田さん:せっかく来てくれたんだから、長生きしてもらいたいじゃないですか。そして、この施設に来たら「健康になった」「他の場所とは違う」って思ってもらいたい。ぼく自身、お金を払ってプロレスを見に来てくれるお客さんをどう満足させるか、どうすれば喜んで帰ってもらえるかっていうのをずっと考えて生きてきた人間だから。そういう「人を満足させる熟練の技」みたいなものは、介護の現場でも活きるんです。
通ってくれていたおじいちゃんが、「ここに来て元気になった」と言って笑顔で帰られたときは、本当にうれしかったですね。
――お母様も一緒に施設で働かれていたそうですね。現在92歳とのことですが、当時からお元気だったのですか。
大仁田さん:お袋は昔から料理が大好きで、88歳で妹夫婦と一緒にうどん屋をオープンしたくらいバイタリティの塊みたいな人なんです。だからデイサービスでも料理担当になってもらって、調理全般をやってもらっていました。
母が輝ける場所。人と話すことが一番の活力になる
大仁田さん:お袋は自分自身も「もうすぐ介護される側だろう」なんて冗談で言いながら、利用者の皆さんに食事を出していましたね。単に家と同じようなご飯を出すんじゃなくて、女性の利用者にはかわいいデザートを用意したりして。ちょっとしたことだけど、心のこもったものを一品でも置くと、「かわいいな」「うれしいな」って思ってもらえるじゃないですか。男のぼくだってそう思うんだから。そういう細やかな気配りをしていました。
それに、お袋は自分の給料で利用者の方におやつを配ったり、介護に来るスタッフたちに差し入れをしたりしていたから、あの人個人としては赤字だったんじゃないかな(笑い)。でも、それがお袋なりのやりがいだったんだと思います。
――利用者の方とのコミュニケーションも活発だったのでしょうか。
大仁田さん:ぼくがおじいちゃんやおばあちゃんに「どうですか?」って話しかけるよりも、お袋のほうが喜ばれた。お袋が一番人気だったんですよ。年齢が近いから、自然に打ち解けられるんでしょうね。
他のお年寄りとテーブルを囲んでご飯を食べて、世間話をして自分のことを気兼ねなく話すっていうのは、すごく人を活性化させるんです。やっぱり人間って、人がいるから生きていける。人がいなかったら、自分が存在している意味すらわからないかもしれない。お袋にとっても、同世代の人たちと話すことが元気の源になっていて、デイサービスの中でおしゃべりおばあちゃんのリーダーみたいになって輝いていました。
理想と現実のギャップ。介護する人が心豊かになれる環境が必要
――約3年間、施設を運営されてみて、介護現場の「理想と現実」についてどのように感じましたか。
大仁田さん:ぼくたちが始めたころは、まだ介護報酬の点数がよかったんです。でも、法改正があってからガラッと変わってしまってきている。ぼくたちは社会貢献のつもりで一生懸命やっていたし、実際に介護されて元気になった人たちを数多く見てきたという自負はあります。でも、現実の経営となると厳しい。施設は目黒にあったんだけど、家賃はどんどん上がっていくし、経営が困難になってきて、3年くらいでやめることになりました。
今は昔みたいに、家族そろってご飯を食べるような濃いコミュニケーションの時代ではなくなってきているじゃないですか。プロレスもジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんの時代から、今のハイスピードでアクロバティックなスタイルへと変化したように、介護の世界も変わってきている。人間同士の意思の疎通が減って、介護も業務として流れ作業になってしまうこともあると思うんです。
でも、それも現場の人たちからすれば仕方ない部分があって。他人の面倒を見るのに毎回、愛情を込めてやっていたら介護する側も大変ですよ。だからこそ、介護職の人たちが「この報酬なら満足できる」「自分も心豊かになれる」って思えるような環境を作らないとダメなんです。
――介護を支える制度そのものに課題があるということですね。
大仁田さん:そう。予算を決めるのは国だから、報酬や保障をしっかり考えてあげないと、介護職はどんどん減っていく一方ですよ。介護する人たちが心豊かじゃなかったら、される側だって幸せになれない。そこを改善するためにも、マスコミが発信して、介護の世界からきちんと状況を分かっている代表を国に送り出さないといけないんじゃないかな。まあ、ぼくはもう国会議員なんてやらないけどね(笑い)。
――もしご自身が介護を受ける立場になった場合、どんな施設に入りたいなどイメージされていますか?
大仁田さん:ぼくはあまり介護は受けたくないな。でも、介護保険料はずっと引かれてるんだよな。介護サービスを利用しないかもしれないのに、なんで引かれてんだよ!なんて思ったりもするけどね(笑い)。今からまた肉体改造しようかなと思っているくらいだから、自分が介護されることは考えていないですね。
――大仁田さんは来年70歳です。現役を貫かれているのがすごい。
大仁田さん:何やってんのかな、って自分でも思うんですよ。だけど、面白いじゃないですか、ギリギリで生きてるのが。ここまで来たら「あいつ、まだしつこくやってんな」って思われるくらいの生き方を見せないと。人生をあきらめるとつまんなくなっちゃうから。
それは介護の世界も同じで、おじいちゃんやおばあちゃんが「もう歳だから」ってあきらめちゃダメなんです。健康的に生きようよって前を向けるように、介護職の人たちが働きやすい環境を作ってあげること。それが絶対に必要だと思います。繰り返すけど、介護する側が心豊かじゃないと、サポートするのは無理ですから。だからこそ、国には生活面を含めた介護職の環境充実を本気で考えてほしいですね。
◆プロレスラー・大仁田厚
おおにた・あつし/1957年10月25日、長崎県生まれ。15歳で全日本プロレスに入門し、ジャイアント馬場の付き人を経て海外で活躍。度重なるけがによる引退と復帰を繰り返し、1989年にプロレス団体「FMW」を設立。有刺鉄線電流爆破デスマッチを考案し、一世を風靡した。40歳で高校へ進学し、明治大学を卒業。2001年から2007年まで参議院議員を務める。義父の介護を機にホームヘルパー2級を取得。現在も「FMWE」のリングに上がり続けている。
撮影/小山志麻 取材・文/小山内麗香
