【倉田真由美さん追悼文】「遠野なぎこさんとは苦しい状況を伝え慰め合った」|「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.84
女優の遠野なぎこさん(享年45)が急逝したことが、7月17日親族によって明かされた。テレビ番組の共演をきっかけに親しくなったという漫画家の倉田真由美さん。夫の叶井俊太郎さん(2024年2月逝去)の闘病について、当時世間には公表していなかったが、遠野さんには打ち明けお互いの状況を伝え合ったという。盟友の死を悼んで、思いを綴る。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
遠野なぎこさんのこと
女優の遠野なぎこさんとの出会いは10年ほど前、東京MX の「バラいろダンディ」という情報番組でした。お互いレギュラーコメンテーターで、毎週顔を合わせているうちに徐々に親しくなり、食事会や飲み会をしてプライベートでも会うようになりました。
私は彼女を「なぎさん」と呼び、彼女は私を「くらたまさん」と呼びました。
生きてきた世界、好きなこと、大事にしているもの、全然違うけど何故だか気が合いました。彼女にとっては、そこもよかったのかもしれません。違うからこそ、ぶつからずにすんだところがありました。
特に職業、彼女はコメンテーターやバラエティタレントをやってはいましたが、自意識はあくまで「女優」でした。
「コメンテーターやバラエティの仕事は面白い、でも一番好きなのは女優」
なぎさんは女優という仕事に誇りを持ち、とことん愛していました。だから近年、拒食症になってからは女優業が思うように出来ず、悔しい気持ちがあったと思います。私が漫画家という、まったく違う職業だったことは彼女を安心させる材料の一つだったような気がします。
私の番組レギュラーが終わり、仕事で会うことがなくなって1、2年やり取りが途絶えていましたが、23年の春頃だったか、突然電話がありました。
「お久しぶりです。なぎこです」
なぎさんとはメールでのやり取りしかしたことがなく、急な電話に驚いたのを覚えています。
ひと通りの挨拶を終えた後、彼女は自分の母親の話をし始めました。なぎさんは母親に虐待されていたことを公にしていますが、私にその話をするのは初めてでした。
「母が自殺した、あの人は最期に逃げた、許せない」
愛憎が絡まり合った苦しい気持ちを吐露していました。
彼女の話を受けて、私も夫ががんで余命宣告をされていることを話しました。当時はまだ、夫の病気のことは世間に公表してない時期でした。ほぼ漏れなく周囲の人にはすい臓がんであることを話していた夫と違い、私はごく近しい親族など数人にしか話していませんでした。
お互いの苦しい状況を、電話越しに伝え合い慰め合って、「絶対また会おう」と約束して電話を切りました。なんだかんだ、1時間以上話し込んでいました。
小さな忘年会で再会して…
その後、本当に再会が実現したのは23年の12月です。もう一人知人を呼び、3人で小規模の忘年会をした時です。
最寄り駅で待ち合わせて店に一緒に行くことにしていたので、私は少し早めに来てなぎさんを待ちました。
「くらたまさん、お久しぶりです」
声をかけてもらい、姿を見た時はやはりショックでした。なぎさんが摂食障害になったことは報道にもあったので知っていましたが、そうなってから実際に会うのは初めてだったから。声まで昔と違いか細くなっていて、でもそのことには触れないまま再会を喜び合いました。
3人での忘年会はお酒も程よく進み、会話も弾んで楽しいひとときでした。なぎさんも、私たちから見たらほんの少ない量だけど、「今日は結構食べられた」と喜んでいました。
摂食障害が想像していた以上に恐ろしい病気だということは、この後更に知ることになります。(次回につづく)