「家族の人生と自分の人生 どうやって両立していく?」元ヤングケアラーが専門家に訊いた
片麻痺、高次脳機能障害の母親をもつ元ヤングケアラーのたろべえさん。ケアを続ける中で感じてきた悩みや迷いについて、ヤングケアラーの研究者である成蹊大学教授の澁谷智子さんに答えていただいた。当事者と専門家の対談から、ヤングケアラーが感じている心の葛藤を紐解いてみると――。
元ヤングケアラーが専門家に疑問をぶつけてみた
たろべえさん(以下、た):ヤングケアラーの経験をスピーチしたり、執筆したりすることが増えてきて、最近感じているのが、私の話にはオチがないということなんです。子ども時代を振り返って、ケアが辛い、大変だったと言われても、だから何?って思われるのではないかと。
澁谷智子さん(以下、澁):たろべえさんも伝える側になって葛藤があるんですね。きっとスピーチや執筆すること自体がこれまでの経験を表現していく手段で、ご自身を支える大きな役割になっていると思います。それに、すべての話にオチがある必要はないと思うんです。どこかで誰かが読んで、何かを感じてくれるはずですから。
た:そういえば先日、私が書いた記事を読んだという、自身も障害のある方にお手紙をいただきました。私の書く文章は、障害をもつ当事者の方を不快にさせてしまうこともあるだろうと思っているので、否定的な内容であることも覚悟して読み始めましたが、実際には暖かい応援のお手紙だったのでホッとしました。
→どうして障害のある母は私を産んだ?ヤングケアラーが親の話をするときの複雑な心境
ヤングケアラー当事者との出会い「あるある話」
澁:書いたり、話したり、表現を続けていくうちに、だんだんこう話すと伝わりやすいのかなと見えてくることがあります。話にオチはなくたって、わかり合える人と話をして『あるある』と共感することもあるんじゃないでしょうか。そういう経験も大切だと思います。
た:大学生のとき、はじめて高次脳機能障害の母親をもつ当事者と出会って、母親は宇宙人と思うようにしているって、同じことを考えていて嬉しかったのを覚えていますね。
澁:コーダ※の子たちにも多いんですが、「理解されないのが当然」と思ってしまうと、それは自分ひとりで抱えなくてはいけないことになってしまいます。だけど、小さなことでも共有できたら、少しでもすっきりしますよね。
※聞こえない親をもつ聞こえる子どものこと。1980年代にアメリカで生まれた言葉。
ヤングケアラーがケアから離れるということ
澁:ヤングケアラーの子たちは、自分の生活を優先すること、ケアから少し距離をおいてどう折り合いをつけるのかということも、人生で直面する課題になると思うんです。
たろべえさんは、大学生のときにひとり暮らしを経験されていますよね。どうしてまた一緒に暮らすことにしたんですか?
た:大学は自宅から通える場所だったんですが、当時父親が「ひとり暮らしするんでしょ?アパートを見に行くよ」と言ってくれて。「あ、わたし家を出てもいいんだ」と。
でも、実際ひとり暮らしを始めてみると、だんだん自堕落になって、朝起きられない、友達との約束もすっぽかす、お風呂から出て髪を乾かすのが億劫になって脱衣所で倒れ込むように寝てしまうとか、人間らしい生活ができなくなってしまったんです。私は家族と暮らして母親の世話を焼いていないと、人としての形が保てなくなってしまうのかもしれないと感じていました。
母が階段から落ちてケガをしたことをきっかけに、平日はアパートから大学に通っていましたが、週末は実家に帰ってきてケアをするようになりました。結局、実家とアパートの往復は面倒だったし、ちょうどアパートの契約も切れるタイミングで、実家に戻ることに決めたんです。
父母を看取るまでこの家にいるのが正解かどうか思い悩むことはありますが、今はもう少しケアの区切りをつけるためにできることをやっていきたいなという気持ちです。
澁:役割があることが自分自身を支えるっていう考え方はわかるんですが、ケアとの折り合いのつけかたが、大人になっていく過程で大事かなって思うんです。親と離れることに罪悪感を抱くこともあるのですが、実際離れてみたら「あれ?なんとかなっちゃった」というケースも割とあるように思います。
自分にとって絶対的だった環境が、距離を置くことで相対的に見られるようになることもあります。それに、物理的に離れたらケアが終わると思っていたらそんなことはなくて、やっぱりケアは続いていくというケースもあります。
た:たしかに、離れて暮らしていたときのほうが、母に優しくできていたかもしれません。
家を出る、環境が変わることへの憬れはあるんです。だけど、どこか今の生活に縛られている…。ときどき映像として脳に浮かんでくるのが、小さい頃の私に、今の私がクレーンゲームのクレーンで吊られて食卓に座らされて、家族でご飯を食べている様子です。
幼いころから思い描いていた幸せな家庭のイメージに縛られて生きていて、食卓の自分の席から離れようとすると、小さい頃の私に操られて、また元の座っていた場所に戻されるようなイメージです。今でも家族3人で食卓を囲むたびに、そのイメージが頭から離れられないんです。
母のケアを気にせずに、お父さん、お母さんって普通の家族みたいに笑いながら過ごす日が……(言葉に詰まる)。
まあ、来ないとは思うんですが。来るはずはないのに、そういう日を願っている自分がいて。
澁:今後、たろべえさん自身も動いていくから。ケアを続けていくかもしれないし、誰かパートナーと暮らすこともあるかもしれない。環境や人間関係が変わっていくなかで、ひとつひとつ確かめていくことってあるんじゃないかなって思うんですね。
た:今は自分の気持ちを確かめている過程だと思うと気が楽になります。他人と暮らすことはまだ想像がつかないんですが、家族の形やあり方も変化していくのかもしれませんね。
「家族の人生と自分の人生をどうやって両立していくのか?」ということは今後も考え続けていくことなんだと思います。
家庭は第二の勤務と感じられるようになってきている
澁:家族はやすらぎの場と思われることが多いんですが、『セカンド・シフト』を書いたアメリカの社会学者のアーリー・ホックシールドは、家庭が第二の勤務に感じられる人が増えていると論じています。共働き時代を生きる今の人たちは、外で働いてきて、そのあとに家の中の仕事をこなさなければならないということを言っています。
さらにホックシールドが次に出した本『タイムバインド』には、「不機嫌な家庭、居心地のいい職場」という副題がついているんです。
職場は社員が居心地よく働くために色んな制度や配慮がありますが、家庭はそうはいかない。家庭は慢性的な人手不足で、限られた中で手が空いている人が家事や育児、介護と、あらゆることを背負う感じになっています。家族のことは家族でというのは、時間的にも人手的にも限界になっています。それをふまえて、ケアする人をケアする仕組みを作っていくことが求められています。
ヤングケアラーも高齢の親を介護している方も、ケアをひとりで抱え込まずに分散できるような仕組み、さらには職場や家庭以外でどこかひと息つくことができる仕組みが必要なのかもしれません。何気なく行ける居場所や自分がくつろげる対象、そうしたものを持てるように、社会全体で環境を整えていけたら…と思います。
た:幼い頃にそういう場所があったらよかったとは思うのですが、「どうせ大人はわかってくれない」って思っていたし、いまだにそういうところはありまして。自己完結してしまうというか…。
澁: 20代はまだ自分の輪郭ができあがっていない迷いの時期。年齢を重ねるとラクになっていく部分はあると思うんですよ。
た:今の私は迷っている姿を人に見せることにも抵抗があるのかもしれないです。それもあって、本を読んだり自分で文章を書いたりすることが、私にとって「ひと息つくこと」なのだと思います。家族のケアをしている人たちそれぞれに合ったやり方で、気軽にひと息つけるようになっていくといいですね。
今は、自分がこうだったらいいなって思う人生、物語を作って、客観的に読んで納得できたらいいなって思っています。そう、先日、ヤングケアラーのことを書いた作文で賞※をいただいたんです。
澁:それはすごい!将来、たろべえさんが有名な作家さんになったら、私、自慢しちゃいます(笑い)。
※第57回「NHK障害福祉賞」。500通を超える応募作品の中から、ヤングケアラーのことを綴った作文が優秀賞を受賞。
プロフィール
澁谷智子さん/1974年生まれ。東京大学卒業後、ロンドン大学、東京大学大学院で社会学・比較文化について学ぶ。成蹊大学文学部現代社会学科教授。『コーダの世界――手話の文化と声の文化』(医学書院)、『ヤングケアラーってなんだろう?』(ちくまプリマー新書)など著書多数。
たろべえさん/1997年生まれ。事故による片麻痺、高次脳機能障害の母のケアを幼いころから続けている元ヤングケアラー。現在は社会人として働きながら、日本ケアラー連盟のスピーカー育成講座を経て、ヤングケアラーの講演活動や情報を発信中。
構成/介護ポストセブン編集部