兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第160回 映画『PLAN 75』を観に行きました】
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが、兄の病気によって日々起こるさまざまな問題に困惑しながらも、受け入れ、対応する様子と心情を明かす連載エッセイ。今回は、マナミコさんが最近鑑賞した映画について。超高齢社会に突入した日本の未来と自らの将来を考えます。
もし安楽死制度ができたら…
前回、排せつ問題は落ち着いていると書きましたけれども、昨日夕方、仕事から帰宅すると廊下にポツンと少量のお便さまが落ちており、ギョッといたしました。あやうく踏んでしまうところでしたし、家じゅうがお便さま臭に包まれており、帰宅早々お便さま掃除でございました。
香りの発生源は兄の部屋でございました。朝キレイに洗ったはずの2つのゴミ箱両方に、ゆるいお便さまがたゆたい、放置状態でありまして、ああ、真夏の湿気と相まってクラクラしてしまいました。お腹の調子が悪かったのか? エアコンでお腹を冷やしたかな?
でも、まぁ、ゴミ箱に入っていたのですからよかったと言えるでしょう。そんなことが当たり前になってしまったこの暮らしは、やはり異常ですけれども……。
今回は、兄の話題がないので、最近観た映画のお話しをします。
『PLAN 75』という倍賞千恵子さん主演の映画でございます。御覧になった方もいらっしゃると思いますが、高齢者に片足を突っ込んでいるツガエにとっては、じつに身につまされる内容でございました。
お話しは、少子高齢化が進み、ついに国が75歳以上の高齢者は自分の意思で安楽死を選べるという公的制度を作った世の中で起こる人間模様を描いています。
賛否両論ある問題作ですが、かねてより「人生100年時代!なんて冗談じゃない」と思っているわたくしは、「そんな制度があったら渡りに船。日本の少子高齢化もすぐに解決するやんけ」と肯定的に映画を拝見いたしました。
映画の中でも一人暮らしの高齢者たちは次々と登録窓口に訪れていました。けれども、「PLAN 75」という制度の登録窓口にいるのは、役所に勤める20~30代の若者たち。要は安楽死の申し込みを受けて書類を作るのは若者なのです。安楽死の施設で薬を説明したり、ベッドに案内するのも若い人なら、亡骸を始末するのも若い人たちで、事務的に割り切る人もいれば、「本当にこれでいいのか?」と疑問を抱く人もいる。結局、若者たちを苦しめる構図が浮かび上がってきて、わたくしは「こんなことを若い人たちにさせてはいけない」と序盤で強く感じました。
安楽死を選べる制度ができたら最高にうれしいと思っていた自分の身勝手さをとことん反省した次第でございます。
では、高齢者はどうするのがいいのでしょう?
長生きすればするほど国の予算を食いつぶすことになり、若い人たちの生活を圧迫してしまう。かといって安楽死制度がもしできたとしても、姥捨て山に親を捨てに行くような心の傷を若者に負わせてしまうのです。
観客は少なめで、多くは65歳以上の高齢者のように見えました。どんな思いで観ているのだろうかとハラハラして、会場が明るくなると無言で散らばっていく人達の背中を眺めてしまいました。
観た人の数だけ答えがあるような映画でございました。決して明るくはなかったですが、わたくしは不思議とさわやかな気持ちになりました。そして「来年のお誕生日がきたら映画はシニア割引になるな~」などと高齢者の恩恵を受ける気マンマンになりました。
人は必ず死にますから、今の若い人達が高齢者になる頃には、また世界は変わっているに違いございません。どんな未来が来ようとも人々が互いに思いやる世の中になっていることを信じてみようと思います。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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