『鎌倉殿の13人』18話 義経(菅田将暉)を裏切った景時(中村獅童)の真意 4つの謎で解く壇ノ浦
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』18話。ついに平家滅亡。壇ノ浦に繰り広げられた海戦の惨状、義経(菅田将暉)の大活躍、幼い安徳天皇(相澤智咲)の悲劇など有名な場面やエピソードが盛り込まれた「壇ノ浦で舞った男」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが4つのポイントにフォーカスして解説します。
どこも切れない18回
5月8日、『鎌倉殿の13人』第18回の本編と次回予告が終わったあと、いつもはある「紀行」のコーナーがなかったので「あれ?」と思った。確認したところ、今回の「紀行」は配信のみで、放送では休止すると事前に告知されていたらしい。つまり、第18回にかぎっては本編にまるまる45分を充てたことになる。
作者の三谷幸喜は、この大型連休中にNHK FMの秋元康のトーク番組にゲスト出演し、時間の制約のため脚本に書いたのに放送では省略されてしまうセリフや場面もあると明かしていたが(一方で配信ドラマを初めて手がけたとき、時間の制約がゆるいのに驚いたという)、今回ばかりはどこも切れないとスタッフも判断しての英断であったと想像される。
それだけに第18回は名場面の連続であった。それとともに登場人物それぞれのキャラクターが改めて浮き彫りとなった。今回のレビューではいくつかトピックを立てながら振り返ってみたい。
1.八重(新垣結衣)は大姫の心を開けるか?
まず、オープニング前のアバンタイトルに登場したのは、頼朝・政子夫妻の娘・大姫(落井実結子)だった。前回、大姫は許嫁だった源義高が殺されたことにショックを受け、すっかり心を閉ざしてしまっていた。政子(小池栄子)は、八重(新垣結衣)が子供たちを集めて面倒を見ていると知って、大姫も預けてみることにする。
しかし、八重にとっても大姫は難物だった。大姫に文字を教えようと、紙に「大」の字をしたため、さらに「これに点を打つと……『太』姫になります。文字とは面白いものですね」と語りかけたのだが、まったく反応がない。そのことを政子に報告するにあたり、八重が「無理やり(心の)戸を開けようとすると、よけい閉じこもってしまう気がします。気長に参りましょう」と言っていたのが実感がこもっていた。何しろ八重自身、父親を殺されて一時心を閉ざした時期があるからだ。
「大」の字に点を打ち「太」にして、「文字とは面白いものですね」と八重が説明していたのも何だか意味深長である。考えてみれば、人間の心もほんのささいな一言などで大きく変わることがある。八重もまた、心を閉ざしていたときに自分のもとへ通い詰めた義時(小栗旬)の一言で一気に彼を受け入れ、結ばれるにいたった。果たして大姫にもいつの日か、文字に打たれる点のように、大きく変わるきっかけが訪れるのだろうか。
2.梶原景時(中村獅童)は心変わりしたのか?
さて、今回のメインは何と言っても、源平合戦(治承・寿永の内乱)のクライマックスとなる屋島の合戦から壇ノ浦の合戦へといたる一連の流れだった。そのなかで義経(菅田将暉)は、同行した梶原景時(中村獅童)と何度も対立する。
屋島の合戦の前には、景時が、舟を漕ぐ櫓を船尾だけでなく前(舳先)にもつけて急に向きを変えられるようにしてはどうかと提案したのに対し、義経は「逃げるための道具などなぜ考える」と一蹴する。さらに彼は、嵐にもかかわらず、今夜出陣すると言い出し、三浦義澄(佐藤B作)や畠山重忠(中川大志)に止められた。しかし、屋外に出た義経はそばにいた景時に、自分は思ったことを口にしてしまうと詫び、景時もまた、よくよく考えれば義経の言うとおりだと態度を変える。
果たして義経は屋島への奇襲攻撃に成功し、平家は、義経の兄・範頼(迫田孝也)が陣を構える北九州にほど近い長門の彦島へと逃げ落ちた。だが、弟の戦勝に鎌倉の頼朝は喜ぶことなく、あいつはすぐに調子に乗る男だと、もしかすると自分から鎌倉殿の座を奪うのではないかと疑念を抱き始める。そこで、今後は合戦での総大将は景時に任せるよう命じた。
これには当然、義経は不満をあらわにし、景時とまたしても衝突する。景時は「所詮、大将の器ではない」とまで言い募り、キレた義経とあわや斬り合いとなりそうになったところを御家人たちに止められる。このとき景時は、比企能員(佐藤二朗)に考えを質し、総大将は義経でいいと思うとの言葉を引き出す。じつはこれは、義経を大将にするため、景時が彼と口裏を合わせた上で仕組んだ芝居だった。
こうして義経はこのときも総大将として壇ノ浦の合戦にのぞむ。海上で矢が激しく飛んでくるなか、義経は敵を引きつけると、味方の兵たちに敵の舟の漕ぎ手を射殺すよう命じた。敵方とはいえ兵ではない漕ぎ手を殺してはならないと、畠山重忠から止められるが、勝つためには手段を選ばない義経は聞く耳を持たない。こうして、非戦闘員である漕ぎ手たちが、義経軍の矢に次々と撃たれ、海へと沈んでいった。
ちなみに、壇ノ浦での源氏方の勝因を、漕ぎ手を狙った義経の奇策とする説を唱えたのは、歴史学者の安田元久だという。木下順二の戯曲『子午線の祀り』にも同様の場面が出てきて、義経の狂気が強調されていた。ただし、これについては、義経の作戦ではなく、勝敗が決してから平氏方の舟に乗り込んだ武士が行ったものだとか、源氏が漕ぎ手を攻撃したのなら平家も同様に応戦したはずだとか、異論もある。
三谷幸喜の大河ドラマでは控えめになりがちな合戦シーンも、今回ばかりは派手に描かれた。よく知られる義経の八艘飛びも出てきた。そして合戦の終わりには、平家方の舟から、二位尼(大谷恭子)が三種の神器のひとつである宝剣を抱えて入水したのに続き、幼い安徳天皇(相澤智咲)も女官に抱きかかえながら海のなかへと消え、平家は滅亡する。帝と神器を取り返すことを至上命令としていた義経には誤算であった。
頼朝もまた、この“失態”を理由に、御家人たちの前では「平家は倒せてもこれでは勝ったことにはならん。九郎のやつ叱りつけてやる」と口にした。だが、寝所で政子と二人きりになると、「九郎がやってくれた。九郎が……。平家が滅んだ!」と大泣きする。ここしばらく冷酷さばかりが目立った頼朝だけに、この場面からは心の底ではなおも弟を愛していたことがうかがえ、グッと来るものがあった。
それでも、頼朝はその後ますます義経への疑念を募らせていく。それに拍車をかけたのが、義経より一足先に鎌倉に戻った景時の報告である。そこで景時は、義経が才に走るあまり、勝利のためには手段を選ばず、人の情けをないがしろにしていると告発したのだ。
あれほどまでに義経の軍才に感服していた景時が、なぜ鎌倉に戻るや、彼をおとしいれるような讒言(ざんげん)を行ったのか。いや、彼のなかではおそらく心変わりしたわけではないはずだ。むしろ義経の強さに感服するがゆえ、それがいずれ頼朝の脅威になると懸念し、戦場ではあえて彼に好きにさせることでつぶす理由を探っていたのだろう。景時の真意は、報告後に義時から問い詰められて言い放った「お二人(頼朝と義経)ともおのれの信じた道を行くには手を選ばぬ。そのようなお二人が並び立つはずはない」との言葉にもはっきりと表れていた。
景時はこのあとさらに、義経が後白河法皇(西田敏行)から気に入られているがゆえ、鎌倉殿の後継者だと勘違いしてもおかしくないと頼朝に進言する。こうして兄弟の関係はどんどんこじれていった。
3.なぜ平宗盛(小泉孝太郎)は義経の手紙を代筆したのか?
そのころ、義経は壇ノ浦で捕らえた平宗盛(小泉孝太郎)を連行して鎌倉に向かっていた。しかし、弟への疑念を強める頼朝は、鎌倉入りを宗盛だけに認め、義経は近郊の腰越で足止めされた。ここで彼が鎌倉の重臣・大江広元(栗原英雄)に頼朝へのとりなしを請うて書き送ったのが、いわゆる「腰越状」である。
腰越状については、研究者のあいだでは、義経が書いたものではないとする偽作説もある。『鎌倉殿』ではそれを逆手にとり、大胆にも、敗者である平家の棟梁である宗盛が代筆したものとして描かれた。
劇中では、鎌倉入りを許されず落胆する義経を、宗盛が見かねて謝罪の手紙を代筆すると申し出る。しかし、これが裏目に出た。文面から義経が書いたものではないと気づいた頼朝は、義経への怒りを爆発させ、このまま彼を京に帰すと決めたのだ。義経もまた、伝言役の義時から会ってきちんと話をするべきだと説得されるが、あっさり兄の命令を受け容れ、今後は法皇を第一に仕えると決意を固める。
もしや宗盛は源氏への報復として、義経を頼朝と引き裂くため、わざと他人が書いたとわかるような文面にしたのか……とも一瞬思ったが、たぶんそうではなく、宗盛は単に源氏の兄弟の仲を取り持ちたいとの親切心で代筆を買って出たのだろう。京を発つ前、彼が亡き兄・重盛について口にしたため、義経に「(兄と)仲違いしたことはあったか」と訊かれ、「ござらぬ。心を開き合ったことがなかったゆえ。しかし、それでも信じ合っておりもうした」と答えていたことからも、彼が兄弟仲を大切にしていたことはあきらかだ。
それにしても、本人たちの意図しないところでどんどん頼朝と義経の心が離れていくのが何とも悲しい。やはりこれは景時が指摘したとおり、そもそもは二人が似すぎていたがための悲劇なのかもしれない。先述のとおり頼朝が妻の前では弟への感謝の涙を流したのに対し、義経もまた戦場を離れれば、かつて恩を受けた村人たちに約束どおり里芋を振る舞う優しさを見せた。これが両者の共通点をまた際立たせる。
4.後白河法皇(西田敏行)、黒幕感あるけどじつのところ黒幕じゃない?
今回、最後に注目したいのは、後白河法皇である。頼朝と義経の関係がこじれるきっかけをつくったのは、突き詰めれば法皇に行き着く。ただ、法皇に兄弟を引き裂く意図があったのかどうか。どうも、当人にはそんな気はさらさらなかったように思える。
そもそも後白河法皇は、権謀術数に長けた策略家だったと評されがちである。しかし、少なくとも『鎌倉殿』での法皇の言動を振り返ると、演じる西田敏行の漂わせる黒幕感にうっかりだまされるが、そのやることなすことすべて気の向くまま、あるいは人の言うがままで、自ら策略らしい策略を図ったことなどほぼ皆無に等しい。平清盛に福原に幽閉されたときですら、せいぜい文覚に清盛を呪い殺すよう調伏を命じた程度で、積極的に抗った形跡はない(頼朝に出した平家追討の院宣も果たして本物だったのか疑問が残る)。
前回、義仲を京から追い出した義経に、頼朝の意向を無視して検非違使に任じたのも、鎌倉方に打撃を与えようなどという意図は一切なく、気に入った兄ちゃんに一杯おごってやろうというぐらいの軽い気持ちだったはずだ。
法皇の義経の惚れ込みぶりは、まさに“ぞっこん”と呼ぶにふさわしい。今回、壇ノ浦の合戦後に義経が鎌倉に戻りたいと申し出た際も、法皇はあきらかに個人的な思いから彼を帰したがらなかった。それを丹後局(鈴木京香)が、義経に検非違使として宗盛を鎌倉まで警護させ、そのあと処刑のためまた京に戻ってくるようにすればいいと提案し、ようやく義経の下向が許されたのだった。
つまるところ、法皇はだだをこねるばかりで、肝心なことは周囲に決めてもらってばかりと言っていい。その意味でほとんど子供だが、西田敏行の演技もよくよく見ると、法皇の子供っぽさをそれとなく表情などで示していたりする。丹後局の例の提案を受けたときの、口をあんぐり開けた顔などまるで赤ちゃんだった。
このほか今回は、一場面ながら、静御前(石橋静河)と里(三浦透子)と義経をめぐる女性たちが初めて同じ場に居合わせた。川で釣りを楽しむアクティブな静に対し、彼女を遠くから無言で見つめるおとなしい里と、対照的な二人がこれからどんなふうに義経とかかわっていくのかも楽しみだ。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。