『悪魔のようなあいつ』圧倒的なジュリーの魅力!本人は「ジュリーと沢田研二は違うのや」と言っていた
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。懐かしさに駆られて観直すと、意外な発見することがあります。今月は国内外のドラマ、音楽に詳しいライターの大山くまおさんが、ジュリーこと沢田研二主演『悪魔のようなあいつ』を鑑賞。圧倒的なジュリーの魅力が、製作陣や昭和歌謡史に及ぼした影響を考察します。
沢田研二の存在抜きには成立しえなかった
「彼は刃物のように危険で、氷のように酷薄で鋭く、だからこそ甘美なロマンの国へ入れるライセンスを、たったひとり許されて持っている美しい青年である」
これはドラマ『悪魔のようなあいつ』(75年・TBS系)の企画書に、『時間ですよ』(70年)や『寺内貫太郎一家』(74年)で大ヒットを飛ばしていたプロデューサー兼ディレクターの久世光彦が書いた一文である。「彼」とは主人公・可門良のことだが、同時にジュリーこと沢田研二のことを指している。三億円事件の犯人を沢田研二が演じ、大金と沢田研二をめぐって男と女たちが争い続ける。エロスとバイオレンスが横溢する、お茶の間に流されていたとは到底思えないこのドラマは、沢田研二の存在抜きには成立しえなかった。
1971年、沢田研二はシングル曲「君をのせて」(作詞・岩谷時子)でソロデビューを果たす。久世は、この曲を聴いた瞬間、曲の中で歌われている「君」が男だと直感したという。映画『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(66年)に魅了されていた久世は、高倉健と池部良が殴り込みに行くシーンをエッセイで「色っぽい」と表現していたが、「君をのせて」にも同じ気配を感じ取っていた。
沢田研二主演のドラマを作りたい。そう考えた久世が声をかけたのが、作詞家の阿久悠である。すでに尾崎紀世彦「また逢う日まで」(71年)でレコード大賞を獲得していたヒットメーカーだった阿久は、三億円事件の犯人を主人公にするアイデアを出す。今となっては考えにくいが、まもなく時効を迎えようとしていた三億円事件の犯人は、世の中の人々から英雄視されていた部分があった。阿久が考えたストーリーは、広告代理店時代の同僚であり、『同棲時代』(72年)が大ヒットしていた上村一夫の手によって劇画化される。
同時に進んでいたのが主題歌の制作だった。久世から依頼を受けた阿久が、初めて沢田研二のために作詞したのが「時の過ぎゆくままに」。タイトルは映画『カサブランカ』のテーマ曲「As time goes by」からとったもの。沢田研二の持つけだるさと頽廃(たいはい)的な美しさを表現しようとした久世・阿久のコンビから生み出されたこの曲は、92万枚を売り上げて沢田研二最大のヒット曲となる。『悪魔のようなあいつ』は、当時としては珍しいメディアミックスプロジェクトだった。
何もかもがトンデモないドラマ
孤児院で育った主人公・可門良(沢田)は、クラブで弾き語りをする美しい青年。彼には男娼という裏の顔があった。客を手配していたのは、孤児院での兄貴分でクラブのオーナー・野々村(藤竜也)。良には誰にも言えない過去があった。彼は三億円事件の犯人だったのだ。時効まであとわずか。時効になれば、晴れて大金を手にする良だったが、彼の脳は不治の病に蝕まれていた――。
良のまわりには、一筋縄ではいかない男女が集まってくる。良が三億円事件の犯人じゃないかと疑う借金まみれのダメ男・八村(荒木一郎)、下半身麻痺で兄に強い執着を見せる良の妹・いづみ(三木聖子)、いずみの世話をしながら良と結ばれる看護婦の静枝(篠ヒロコ/現・ひろ子)、良の子を宿す(実際はわからないが本人はそう信じている)八村の妻・ふみよ(安田道代)、野々村の元妻で良を買うコールガール・恵い子(那智わたる)、良に陰湿な嫌がらせを繰り返す元売れっ子歌手の矢頭たけし(尾崎紀世彦)、女言葉のヤクザ・倉本(伊東四朗)、密出国ブローカーの中国人・王礼仁(細川俊之)と暴走族の妹・マキ(長谷直美)、そして三億円事件の犯人を執拗に追う刑事の白戸(若山富三郎)。ほかにもザ・ゴールデン・カップスのリーダーだったデイヴ平尾がクラブのボーイ役、久世に声をかけられて本作が俳優デビューとなった岸部修三(現・一徳)がヤクザ役で出演している(平尾は挿入歌「ママリンゴの唄」の歌唱、岸部は劇伴曲の演奏も行っていた)。
脚本に『青春の殺人者』を監督した長谷川和彦を迎えたドラマは、何もかもがトンデモなかった。誰にも心を許さない良は、なりゆきで女と寝る(上半身裸で寝ている沢田研二の乳首に、部屋にやってきた看護婦姿の篠ヒロコがいきなり口づけするシーンで始まる回があったりする)。一方、三億円を狙う者がいたら良は容赦のない暴力で抵抗する。凶悪なヤクザ・倉本をナイフで切り刻み、金を奪った王を惨殺する。子どもを宿したと喜ぶふみよの腹を殴ることもあった。奪っただけで手をつけていない三億円とは、良にとって自由と青春そのものだった。
濃厚な共演陣の中でも突出した存在なのが藤竜也演じる野々村だ。良に執着し、どんなことがあっても良を守ろうとして人殺しさえいとわない。良と二人で大西洋の外れの小さな島で暮らすことを夢見る野々村は、良に恋焦がれている男だ。良にナイフでシャツを切り刻まれているシーンは、明らかに陶酔した顔をしていた。野々村は、沢田研二に入れ込んで彼を「女優」と表現し、後にインタビューで「オレは沢田研二とならばいつでも一緒に死んでもいい」と断言していた久世が、自分自身を投影した役柄だと考えて間違いない。野々村を演じた藤竜也自身も後にインタビューで男を愛する演技に抵抗はなかったかと問われて「それはなかった。ジュリーさん、きれいだったからね」と答えている。大野克夫作曲、井上堯之バンドによる野々村のテーマは「モーホーのテーマ」とストレートすぎるタイトルがついていた。
いかにジュリーを魅力的に撮るか
セックス、レイプ、ヤクザ、強盗、暴力、ギャンブル、売買春、殺人、同性愛……この世のスキャンダラスな部分ばかりを画面に叩きつけるようなドラマは、お茶の間には刺激が強すぎたのか、久世が青ざめるほど視聴率は低迷した。ロケでの撮影を嫌い、どんなドラマにもお茶の間のシーンを盛り込もうとした久世の演出法がツッコミどころを生んだ面もある(なぜか浦辺粂子演じる八村の母の出演シーンが多かった)。
久世の演出は、いかにジュリーを魅力的に撮るかという一点に集約されていた。何かといえば上半身裸になり、妹を風呂に入れてやるシーンでは、上半身裸にサスペンダーにパナマ帽、くわえ煙草というトンチキな格好をしていたが、それが様になるのはジュリーだからとしか言いようがない。一方、沢田自身は「ジュリーと沢田研二は違うのや」と口にしていたと脚本の長谷川和彦が述懐している。結局、三億円事件の時効である75年12月まで続く予定だったのが、9月末で終了することになった。最終回は良がライフル魔となり、ふみよを殺した八村はダイナマイトで爆散、静枝を絞殺し、野々村を撃ち殺した良は妹ともども狙撃隊に射殺される。ラストカットは良が血みどろのまま謎めいた微笑みを浮かべるというものだった。
ドラマ史に残る傑作とは言えないかもしれないが、鮮烈すぎる印象を残したカルトドラマ『悪魔のようなあいつ』は、後々に大きな影響を与えている。阿久悠は沢田研二に「勝手にしやがれ」(77年)をはじめ数々の詞を提供して一世を風靡し、長谷川和彦は沢田研二主演で『太陽を盗んだ男』(79年)を監督する。久世はデビューしたばかりの作家、栗本薫(中島梓)に脚本を依頼してドラマ『七人の刑事』(78年)の1エピソード「哀しきチェイサー」を演出し、沢田研二と兄貴分・内田裕也の同性愛的な友情を描いた。後に栗本薫は『悪魔のようなあいつ』の可門良にオマージュを捧げた小説『真夜中の天使』(79年)を上梓し、BLカルチャーの先鞭となった。若山富三郎は亡くなる二日前、実弟の勝新太郎と京都のクラブへ行き、最後に「時の過ぎゆくままに」を歌ったという。
参考文献
久世光彦『ひと恋しくて ― 余白の多い住所録』(中公文庫)
久世光彦『マイ・ラスト・ソング』(文春文庫)
島崎今日子「ジュリーがいた」『週刊文春』
文/大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。「QJWeb」などでドラマ評を執筆。『名言力 人生を変えるためのすごい言葉』(SB新書)、『野原ひろしの名言』(双葉社)など著書多数。名古屋出身の中日ドラゴンズファン。「文春野球ペナントレース」の中日ドラゴンズ監督を務める。