兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第100回 癒しの時間が終わるとき】
若年性認知症を患う62才の兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさん。5年前に兄の病気が発覚して以来、勤め先の社長との折衝やその後退職手続き、ハローワークや病院の付き添い、もちろん毎日の食事や生活の介助と兄を支え続けている。最近になり要介護認定が下り、週1回デイケアへの通所が始まったものの、兄をサポートする日々は相変わらずの様子。これまで99回にわたり、兄との生活のあれこれを綴っていただき、ついに100回目を迎えたこの連載だが、今回も複雑な心境には変化はないようで…。
それでも「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
午後3時半は日曜日のサザエさん
先日、ユニクロで兄のお洋服を2万円ほどお買い物した直後、ドキッとすることがありました。兄は大きな紙袋を持って男子トイレへ、わたくしは女子トイレに入り、出てくると、いつもならトイレ付近で待っている兄の姿がございません。しばらく待ったのですが、なかなか来ない。「具合悪くなったのか、トイレの流し方がわからなくて途方に暮れているのかも」と思い、男子トイレの中に向かって「オニイチャン?」と勇気あるひと声を出してみました。でも返事はありません。おかしいなと思い、売り場の方に戻ってみると、ちゃっかり笑顔で手を振る兄。「よかった」と思ったのもつかの間、その手には何も持っていないではありませんか。
「紙袋は?」と言うと「え?紙袋?何だっけ?」
……………まじ?……………
男子トイレに戻って「あったよ、これのこと?」という兄に悪気はないことはわかっています。されどあまりにマッハな記憶の喪失。「荷物を持たせてトイレに行かせてはいけない」と学習した保護責任者・ツガエでございます。
いろいろな方々のお力を借りて、ようやく兄のデイケア通所がスタートいたしました。これが正解かどうかはわかりませんが、勤めを辞めてから約2年、家にいないことがなかった兄が、週1回約6時間、別の場所に行ってくれるのです。しかも入浴も済ませて帰ってくる。「なんとありがたい!」「ひとときでも気が楽になる」「これで少しは兄に優しくできる」と思いました。
―――思いましたが、それは一瞬だけでした。
2回目は6時間が初回よりもあっけなく感じ、「もう迎えに行く時間?」とガッカリ。初回は歓喜と感謝一色でしたのに2回目にして早くも「明日も明後日もずっとデイケアの日ならいいのに」と思うようになりました。
欲望はエスカレートするものでございます。 オイシイ味を知ってしまったばかりに、兄が家にいることが前にも増してしょっぱく感じるようになってしまいました。「強欲にもほどがある」とどうぞお笑いください。
ぶっちゃけ、朝は「今日はいない間に何しようかな?」とウキウキいたします。セラピードッグに”これでもか”というほどペロペロ歓迎されてニコニコ顔の兄を預けて帰るときの解放感は筆舌に尽くしがたいものがございます。でも午前中はいつものルーティンで過ぎてゆき、遅めのお昼をお茶漬けなどで済ませると、あっという間に2時。ちょうど眠くなってくるので、水仕事をしたり、兄の薬をカレンダーに貼り付けるなどの単純作業しかできません。
唯一、兄がいないからできたことは、リビングで好きな音楽を流し、コーヒーを飲みながら外の景色を眺めることでございました。わたくしは日頃、食事どき以外は窓のない部屋で、室内照明とパソコンのブルーライトにさらされていますので、そんな些細なことが至福なのです。
でも、午後3時半の憂鬱なことと言ったら、まるでサラリーマンがブルーになる「日曜日のサザエさん」状態でございます。「ああ、また1週間兄がいる生活だ~」となってしまう。
「かわいそうな兄上。そんなに嫌がらなくても…」と第三者目線のツガエは嘆きます。
「マナミコや、いつからそんなに兄上のことが嫌いになったのか?」と……。
デイケア2回目の午後は雨でございました。4時に兄の傘を持ってお迎えでございます。幼稚園児を送り迎えするというのは、こんな感じなのでしょうか? 世の中のお母さまお父さまはこれを毎日やっているのですね。しかもお勤めなどしながら…。立派すぎます。
入口のインターホンで名前を告げ、完全にロックされているデイケアの扉から兄が出てくると、わたくしの癒しの時間は終わり。兄の顔が見えた途端に、保護者としての鎧が一瞬にしてわたくしの体に貼りついてまいります。
「ありがとうございました」とお礼を言い、「おだやかにお過ごしでしたよ」と報告を受け、事務的な話しが続き、否が応にも保護者顔になるわたくし。親でも姉でもないのに兄の保護責任者という肩書きからは逃げられない。気楽なおひとり様人生を選んだはずでしたのに、神様はいたずらでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ