オバ記者、銀座で出会ったマダムの「トリプル介護ドラマ」に絶句
女性セブンの名物記者“オバ記者”こと野原広子が、アラカンの現実を気の向くままに告白する。今回のテーマは、4月に免許を取って以来、朝から夜まで頭から離れないという「原チャリ」についてだ。
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よく晴れた5月末、銀座のデパートでのこと。1階の帽子売り場を通り抜けようとしたら、まっ赤なつば広帽を、小粋にかぶった白髪の女性と目が合った。
「まあ、お似合い!」
吸い寄せられるように近づくと、「ほんと? わあ、うれしい」と少女のような笑顔を返してきたのが78才のIさん。見るからにどこぞの有閑マダムか、ご大家のご隠居さんか。
そんな想像をしていたけど、人ってわかんないね。話を聞いてこんな人生があるのかと絶句したわよ―─
自宅介護、3人のシモの世話
「夫が47才のとき、くも膜下出血で突然倒れたの。一命はとりとめたものの、重度の麻痺が残って寝たきりに。そうしたら翌月に義父が脳梗塞で、その直後に、今度は気丈な義母が心筋梗塞で倒れちゃって…。
3人とも体に障害は残ったものの、意識はハッキリ。基本は自宅介護で、最期は3人のシモの世話をしましたよ」
総勢8人の大家族に嫁いだ苦労、嫁姑のいざこざ。そして28年に及ぶトリプル介護。その中でとくに印象に残ったのは、死の半年前に義父が見せた“男気エピソード”だ。
「義母が、『財産はきょうだい、みんなで分けたらいいわ』と言ったら、義父が『それはダメだッ』と血相を変えたんです。気の強い義母から茶碗を投げつけられても、黙っているような人が大きな声を出したから、みんなビックリ」
義父の言い分は、『家のために働いて、体が不自由になった長男に相続させる』というごくシンプルなもの。
これには義母もぐうの音も出ない。そのことを夫に言うと、「おやじ、一生に一度の勝負に出たな」と、男泣きをしたそう。
家のために働いた夫と私に財産を残すことを考えてくれた義父
「今にして思えばね」
Iさんは言う。
「お義父さんは私と夫に相続させることを、ずっと考えていたんだと思う。それから、残された私が、住む家に困るようなことがないように」
そう言うと、Iさんは、スマホを器用に扱って、私にスナップ写真を見せてくれた。
赤、黄色、ショッキングピンク。どの写真もIさんは鮮やかな色の服を着て、センターでポーズを取っている。
「まさかこうなるとは自分でも思わなかった(笑い)。結婚以来、『目立つな、長男の嫁らしいかっこうをしろ』と言われ続け、夫が生きていた4年前までは地味な服ばかり。
無意識に自分を自分で抑えつけていたんだと思う。それが今は友達から“原色の人”と言われている。
40才の娘が、『ママ、年取ってはじけちゃったね』と、からかうんだけどね。こうして自分を解放することができたのは、みんなすべてあのときの義父のひと言のおかげよ。そういえば、もうすぐ父の日ね。今の私を見せにお墓参りに行こうかな」
高齢になって開いた扉の向こうにあるもの
こんな話を聞くと、年を取るのも悪くないなと思うんだわ。
実は私もはじけちゃっていることがある。4月に原チャリの免許を取りに行った試験会場で、バイクの講習を受けたら、すっかりドツボ。朝から寝るまでバイクのことが頭から離れないのよ。
で、とうとう先日、ネットオークションで3万3000円で中古のバイクを手に入れ、熊谷から東京まで73kmの道を走って帰ってきたの。
意外だったのは、原チャリの燃費の良さよ。ガソリン代の全国平均が1リットル152円を記録した今、164円で73km走れるなんて、あり得ないわ。
そんなわけで、最近、都心はどこへ行くのもバイクよ。“バイク=危ない乗り物”と思い込んで、ママチャリ専門だった私がエンジンの音に心をときめかせている。
60才過ぎて開いた扉は、Iさんの言葉を借りれば、「まさかこうなるとは思わなかった」から、面白いんだね。
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※女性セブン2018年6月28日号
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