兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第7回 アパート借りっぱなし事件】
ライターのツガエマナミコさんは、現在、若年性認知症の兄と2人で暮らしている。認知症の母の介護をしている最中に、兄の様子にも変化が起こり…。
兄の病気がわかるまでの経緯やそれにまつわるさまざまな出来事、そして2人の日常を綴る連載エッセイ。「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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認知症の母の死、そして…
母が他界したのは、兄の認知症が確定して2~3か月後でした。早朝に自宅で母が息を引き取ったとき、悲しさよりも「やっと終わった」という達成感に近い感覚がありました。なんと薄情な娘だと思いますが、気持ちはすでにこれから始まる兄との暮らしにシフトチェンジしていたように思います。
悲しみに暮れる間もなく、訪問介護士さんやケアマネジャーさん、往診していただいていたお医者さまへ連絡し、慌ただしい朝が始まりました。
ご存じの方もいるとは思いますが、在宅介護の場合、担当医から「亡くなったら救急車は絶対呼ばないで。私に連絡してください」と言われるものなのです。昼頃には親戚が来る、葬儀屋さんが来るで一気に人の出入りが多くなりました。
兄はどうしていたか…あまり覚えていません。でも兄もまた悲しみに暮れた様子はなかったように思います。日に日に衰弱する母をずっと見ていたので自然なことと受け止められた気がしますし、兄は人が来ると愛想を振り撒いてしまう犬のような性格なのです(戌年生まれだけに…?)。
父の葬儀から2年半で、今度は母の葬儀になりました。母は兄が認知症だなんて夢にも思っていなかったでしょうけれど、早めに旅立ってくれたのはきっと、わたくしの負担が軽くなるようにという彼女の海よりも深く認知症よりも強い愛、そんな気がします。
通夜・告別式は身内だけで小さく終えました。兄は、なるべくわたくしの邪魔にならないように気を使っていたように思います。もともと威張ったり、兄貴風を吹かすことのなかった人ですが、自分が何もしないことが一番いいのだと悟ったように隅っこにいて、にこやかに親戚と談笑していました。とはいえ、一応長男ですから「喪主」として最期の挨拶だけは務めてもらいました。うつむき加減でマイクの前に立った兄は、どこで仕入れてきたのか、よくある喪主挨拶の例文をそのままパクったカンペをベタ読みしていました。その声はあまりにも小さく、耳を澄ましていても何を言っているのか誰にもわからないほど。それでも大役を務めてくれたことにホッとし、葬儀は無事に終了しました。
ところがその矢先、兄がまたとんでもない爆弾を放り込んできたのです。
葬儀から1週間後の日曜日の朝、兄が手紙のようなものを持って、これ見よがしに家の中をウロウロしているので、仕方なく「なに、それ?」と訊いてみると、「こんなの来てて」とすっとその紙を手渡されました。
家賃滞納のお知らせのようで、32万円という額面が書いてありました。差出人は駅前の不動産屋。なんのことやらさっぱりわからず、よくよく見ると、兄が5年前まで住んでいたアパート名があり、「え?」となりました。日付を見るとごく最近の請求です。
「もしや、はぁ?そんなこと?」と急に心臓がバクバクしました。
そうです、兄は前に住んでいたアパートを引き払っていなかったのです! わたくしが見たのは直近4か月分の家賃でした。そうやってまとまった請求書が来るたびに入金しつつ、誰も住んでいないアパートの家賃を兄は人知れず約5年間も払い続けていたのです。
つづく…(次回は9月26日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ