68才男性、早稲田大学院受験の英語&非専門分野攻略法
定年後に大学や大学院に入りなおして、若い頃に学びたかったジャンルを学ぶシニアが増えているという。森隆夫さんもその一人。65才まで公務員として働き、66才で早稲田大学大学院に進学した。いまは修士論文に取り組んでいる。前回の記事「歌舞伎・浮世絵好き68才男性が早稲田大学院に通うまで」に続き、森さんの大学院受験と大学院生活を紹介する。(全3回、当記事は第2回)
試験と名のつくものは30年ぶり。受験は48年ぶり
元々歌舞伎が好きで、それに関連する浮世絵にも興味を抱き、さらには浮世絵に書かれた江戸の“くずし字”を読みたいと感じるようになった。そこから古文書塾で10年以上学んでいた森隆夫さんは、大好きな江戸文学を大学で学ぼうと決意し、66才で早稲田大学の科目等履修生(かもくとうりしゅうせい)となった。これは、その大学の学生以外の人が、大学や大学院の講義の中から特定の科目だけを申し込んで受講し、現役大学生や大学院生と一緒に授業を受けられる。週1度の授業を受けるうちに、大学院を目指したいと思うようになり、大学院受験を決意する。しかし入試は数か月後に迫ってきていた。
「まず願書と研究計画書を提出しました。研究計画書は科目等履修生となる時に一度作成していたので、少しは慣れていましたが、その時よりもっと詳細なものが要求されました。その後、大学院の入学試験を受けましたが、面接と研究計画だけだった科目履修生の時とちがって、容赦なかったです」
と森さんは苦笑しながら語る。1次試験は筆記で、一般外国語と専門科目だった。
「試験と名のつくものを受けるのは、30代で管理職試験を受けて以来、じつに30年ぶり。大学受験からは48年も経っていたんです。外国語は英語を選択し、専門科目はもちろん日本語学・日本文学です。48年ぶりの英語の勉強と、古文書講座で学んだ日本文学の知識とで勝負しなければならない。しかも、科目等履修生の授業もありましたから、そちらにもついていかなければならない。もう必死でした」
1冊のペーパーバックの面白いチャプターだけを徹底的に読む
「記憶力は昔に比べれば衰えています。しかし英語に関しては、昔から趣味でペーパーバックを読んでいたので、少しは自信がありました。でもあくまでも趣味として読んでいたもので、勉強として読んでいたわけではありません。そこで、徹底的に頭に入れるために、一部だけを繰り返し読みこむことにしました」
それまでは、英語のペーパーバックは1年に3冊4冊、面白そうだと思うと次々と手を出していたという。最初に邦訳を読み、あらすじを頭に入れたところで、ペーパーバックを読む。そうすると辞典なしでだいたい読める。それが森さんの読み方だった。しかし大学院受験のために、やり方を変えた。
「一部だけを繰り返し繰り返し、徹底的に読むほうが覚えられるんです。それにすごくスピードが速くなって、英語に慣れてくる。あれもこれもやりたい気持ちを封印して、過去に読んできたものから1冊選びました。それが、ジェフリー・アーチャーの『フォース・エステイト(邦題:メディア買収の野望)』でした。この中の面白いチャプターだけを毎日繰り返し読みました。そのうち文章のリズムが伝わってくるようになってきて、それと一緒に自分の感情も一緒に動くようになって……。英語感覚みたいなものが少しずつ宿ってくるのを感じました」
森さんの理屈はこうだ。試験に出る問題は初めて見る文章だ。おまけに時間制限がある。どんなに勉強しても、勉強したことが出るとは限らない。それなら、いかに英語に慣れておき、早いスピードで英文が解釈できるかが大切だ。
たしかに、18歳で大学受験する英語力と、社会経験のある50代、60代の英語力は全然方向性が違う。年を重ねるにつれて単語や文法などは忘れていくかもしれないが、社会経験を積んだ分、18歳ではわからなかった英単語や英文にこめられた意味が理解できるようになっている。森さんはそれにさらに、若さとともに失われる俊敏さや理解の速さを、この特訓で鍛えたのだ。
日本文学の基礎知識をブツブツつぶやく“変な人”
じつは課題は、専門科目のほうだった。森さんは文学部で学んだことはない。古文書や江戸文学など、大好きなことは勉強してきたが、日本文学を体系的に学んだことは一度もなかった。そこで、基礎知識をつけるために、こちらも同じく、1冊の本を徹底反復して勉強した。
「有斐閣から出ている『日本古典文学史の基礎知識』を繰り返し、しつこく勉強しました。記憶力は昔に比べて確実に衰えています。読むだけで覚えるのはむずかしい。そこで、本に書かれた内容を、ひたすら書き、音読しました。もしその様子を誰かが見たら、変な人がいるな、と思ったと思いますよ。右手にペンを持ちながら、ブツブツ、あの作品を書いたのは誰それで何年成立、とかつぶやいているわけですから。でもこうやって、手と口と耳と目を使って脳がフル回転させると、ただ目で字面を追うより何倍も頭に入っていくんです」
しかし実際の試験は、基礎を問うレベルをはるかに超えた応用問題ばかりだったという。
「ある文芸ジャンルについて、知っていることを述べよ、といった総合的な教養を確認する問題や、この古文書を読んで答えよ、というような内容でした。古文書を10年勉強してきた私でも半分も読めなくて悔しかったですね」
森さんによれば、ただ暗記するというより、体系づけて覚えることが必要な問題が多かったという。しかしこの時勉強して覚えた古典文学の基礎知識は、大学院生となった今、大変役に立っているという。
60代後半、70代くらいの人もいた
大学院の試験会場に集まった受験者は、そのほとんどが20代だったが、なかには森さんより高齢と思われる人が何人かいた。人は見た目ではわからないけれども、森さんによれば、60代後半か70代くらいの人だったという。
「勇気づけられました。それまで、ずっと勉強はしてきたけれどこの場にいるのは場違いかなあとちょっとだけ思っていたんです。でも、年をとっても学びたいと思う人は自分だけではないと確信できました」
二次試験は面接である。提出済みの研究計画書をもとに、どんなことを研究したいのかを詳しく訊ねられたという。
「科目等履修生の時にも面接があったので、それとは次元が違うとはいえ、多少は慣れていました。科目等履修生を経験していてよかった、と思いましたね」
面接も突破し、森さんは晴れて合格した。まもなく67才になろうとする時だった。
しかし、大変なのはむしろ合格してからだった。大学院生としての研究生活は、予想以上にハードな生活だったのだ。
(続く。次の記事は「若い仲間と交流し研究で徹夜、68才大学院生の充実生活」)
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取材・文・写真/まなナビ編集室
初出:まなナビ