【著者インタビュー/盛田隆二さん<前編>】最後に過ごした父親との濃密な時間
ロング・グッドバイ――認知症によって少しずつ記憶を失くし、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく。アメリカではアルツハイマー型認知症をこう呼ぶことがあるという。10年にわたって、認知症が進んでいく父親に寄り添い見送った作家の盛田隆二さん。長い時をかけて父親との別れの時間を過ごした、その介護体験を綴ったノンフィクション『父よ、ロング・グッドバイ──男の介護日誌』について、お話をうかがった。その前編をお届けする。
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本書は、母親の死を機に生きる気力を失い、やがて認知症となる父親を10年間にわたって介護した体験を綴ったノンフィクション。実は盛田さんの介護は、父親だけでなく、統合失調症をもちその病識さえもない妹も含まれる。ふたりに翻弄され疲弊する様子が描かれ、当然、悲惨な体験がてんこ盛り。だが、メランコリーに流れ過ぎずユーモアのにじむテンポの良い筆致で、盛田小説の神髄――人間の根底にあるあたたかさや切なさに対する信頼感に触れられる書となっている。
50m先のコンビニにも行かない父親
「介護のことは実体験をもとに『二人静』という小説に書いたことがあったけれど、事実をノンフィクションに、と依頼が来た時には迷いがありました。小説には登場しない実の妹がいて、この妹を抜きに自分の介護生活は語れない。母親の難病の問題もありました。家族の事情をそこまでさらしていいものか…と。
でも、父親が亡くなって3年という月日が経っていたからかな。いったん吹っ切って書き始めたら、すごいスピードで書けてしまいました。作家の性、というか、書く快感があった。どこかに書かなくてはいけないという思いをもっていたのかもしれませんね」
認知症が進んでいく父親、精神の病を悪化させてゆく妹。このふたりが支え合えば、なんとかかんとか生活していけなくもない…というギリギリの暮らし。父親と妹のみならず近所の人からも、たびたび電話で問題がもたらされ、執筆を中断しては、自宅から車で10分の実家へと駆けつける。
「ある日、親父から『2日間何も食べてない』と電話があって車を飛ばして行ってみたら、妹が寝込んで食事を作ってくれないと言うんです。家から50mのところにコンビニもあるのに、親父はそこに弁当を買いに行くことさえしなかった。
そういえば、ある時スーパーに連れて行ったら『スーパーって何でも売ってるんだね』と言うからびっくりして『親父、来たことないの?』って訊いたら『うん』って(笑い)。親父は、食事の支度どころか、お茶を淹れることも大雨で濡れている布団を取り込むことも、買物にさえ行ったことがない人だった。生活のすべてを母に頼り切っていた徹頭徹尾、生活能力がない人だったんです」
その後妹が入院し、ひとり暮らしになる父親を心配して、配食サービスを手配し、母親の同僚だったケアマネジャーさんに連絡。介護保険の申請手続きをして、ケアプランを作ってもらうも、父親はヘルパーもデイサービスも拒否してしまう。
「結局、僕が食事や掃除、洗濯のために週に2度ほど実家に通うことになりました。でも親父がひとりで出かけて転倒し頭と顎を縫う怪我をした時、ケアマネさんから、施設に入所を勧められました」
父親のひとり暮らしは限界でとうとう介護施設に入所
「そのころには親父は、自分の薬の管理もできなくなっていたんです。主治医のところに薬の飲み方がわからないと、1日に3度も訪ねてきたという話があり、ケアマネさんは煙草の火の不始末も心配して、介護老人保健施設に入所させることになりました。
入所の日、『どこも悪くないのになぜ入院しなくちゃならないんだ?』と話を理解していない親父を車に乗せて施設に向かう道すがら、子どものころ一緒に釣りをした川を渡る時、あれこれ思い出話をしながらも、罪悪感が拭いきれませんでしたよね…。僕が帰ろうとしたら、赤ん坊のように顔をくしゃくしゃにして泣きながら追ってきて、振り切るようにして帰りました」
老健は、自宅と病院の中間に位置づけられる施設で、リハビリを行い、状態が良くなったら家に戻る前提となっている。
「当時はそういうことへの知識も認識もないまま、とりあえず施設に入ってもらったので、期限が迫ると『次のことを考えてくださいね』と言われて茫然としたりもしました。なんだかんだの事情が幸いしたり、そのうち施設の方針も変わっていって、入ったり出たりを繰り返しながら、最期の“看取り”までお世話になりました。入所した時は考えもしませんでしたが」
病院も老健施設も長期間はいさせてもらえない。一定期間が過ぎると妹が退院してきて、父親も家に戻り、またギリギリのふたり暮らしに。妹が入院したらまた父親は施設に。老健での最長入所期限が迫ったころに父親は肺炎で入院…。ふたりが順繰りに施設や病院に出たり入ったりを繰り返しながら、この綱渡りは続く。