【著者インタビュー/盛田隆二さん<前編>】最後に過ごした父親との濃密な時間
盛田さんは、川越市内の自宅と施設、病院、実家の三角形をぐるぐる回りながら、ふたりの世話を続けた。そして急速に弱っていく父親の変貌を目の当たりして、心を痛める。
「かつては“銀流し”といわれるほどの伊達男で、誰もがダンディな人だと言ってくれていたのに、何日も着替えない汚いジャージ姿で食べ物はボロボロこぼすし。『こんなこともできないのかよ』と情けないやら切ないやらで、きつく叱ったり声を荒らげたりもしました。
大正生まれの国家公務員だった親父は、いつも威張ってばかりで不機嫌でした。汚れた下着を始末しながら『オレがこれだけ苦労してるのに』とイライラしていても、親父は『世話になってやる』くらいの態度。でもほんとうは、自分でも生活能力がないことを痛感していた親父は、プライドが高いだけに、弱った自分の姿を息子に見せたくない、でも息子の世話にならなければならないことに傷ついていたんでしょうね。後で思うと、ですけどね。自分だって、もし年をとって息子に『親父、パンツ脱げよ!』とか言われたらたまらないですもんね(笑い)」
知らなかった父親を“発見”する
父親が施設に入所してからは、盛田さんは週に1度、洗濯のために父親を訪ねた。コインランドリーに連れ出し、洗濯が上がるまでの間、これまでろくに話したこともなかった父親との会話が生まれ、今まで見たこともなかった父親の姿を見ることになる。
「煙草を1本渡したら『お、ありがてえ』と自分の額をペチッと叩いて手刀を切った。こんなおどけた仕草をする人間ではなかったはずだと動揺したりしました。
施設の部屋のバルコニーでひとりで楽しそうに何かしゃべってるから、いよいよ認知症の幻覚症状が出たのか? っておののいたら、職員さんに『奥様に話しかけられているんでしょう。とても穏やかでやさしい声だったので私も幸せな気持ちになりました』って言われたこともありました」
介護の日々にはきついことが続くが、そのなかでも盛田さんは、不器用だった父親が他の入所者と親交を深めたり、職員との心の交流を重ねたりしている「自分の知らなかった父親」を少しずつ少しずつ発見していく。父親の人生の最晩年期、父と息子とのいわば“再会”。人が老いる時の、ささやかだけれど豊かな福音の時を垣間見せてくれるその記述に、読者は救われる気持ちになる。
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10年の間には、作家生命危うし!な最大の危機も訪れるのだが、その話は次回、後編でお届けする。
盛田隆二(もりた・りゅうじ)/1954年生まれ。情報誌『ぴあ』編集者の傍ら小説を執筆し、デビュー作の『ストリート・チルドレン』が野間文芸新人賞候補、『サウダージ』が三島由紀夫賞候補に。’96年作家専業となる。細部まで現実味あふれるストーリーで、リアリズムの名手として『夜の果てまで』、『二人静』(第1回Twitter文学賞国内編第1位)ほか、作品多数。最新刊は『蜜と唾』。父親と母親の人生を描く「焼け跡のハイヒール」を『小説NON』(祥伝社)誌上で連載中。
『父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌』(盛田隆二著/双葉社)1400円+税
作家・盛田隆二氏が47歳から57歳までの10年間父親を介護した記録。主に最初と最後の1年間を描く。始まりは<親が元気なうちは、人はいつまでも子どもでいられる>というほど暢気なものだったが、やがて老父と妹に振り回され右往左往。施設での暮らしのタイムテーブルなど、そろそろ施設を考えている人にも参考になるお役立ち情報も盛り込んである。さすがもと『ぴあ』編集長。
撮影/相澤裕明 取材・文/小野純子