パッション屋良さん、沖縄で介護の仕事に情熱を注ぐ ブレイク時を振り返り「月収500万、調子に乗っていた過去の自分を殴ってやりたい」
力強く胸を叩いて「ンーッ!!」と決め顔をする芸で一世を風靡したパッション屋良さん(50才)。情熱的な体操のお兄さんキャラとして芸能界で活動してきたが、現在は生まれ故郷の沖縄に拠点を移し介護現場で活躍中だ。そんなパッション屋良さんの情熱の原点とは?【全3回の第1回】
介護施設で週5勤務、利用者と介護職を笑顔にしたい
――介護施設で働いていらっしゃいますが、どんなことをされているのでしょうか。
屋良さん:介護施設でレクリエーション担当をしています。いくつか契約させていただいている施設を巡って、週5日働いていますよ。お笑いも、介護の仕事も、その場を明るくするという志は同じかなと思っています。
もともと体育教師になろうと思っていたんですが、今は施設で高齢のかたたちに体操をレクチャーしている、不思議なご縁ですよね。
――体育教師の夢をあきらめて芸人になったんですか。
屋良さん:いや、夢は芸人でした。小学生くらいの頃からお笑い芸人さんに憧れていて、クラスで面白いヤツが人生得している気がして(笑い)。とはいえ甘い世界じゃないことはわかっていたので、ひとまず夢は「体育の先生」に定めて、東京の大学に行って教師を目指そうと。ずっと陸上競技をやっていて体力にも自信があったから、選びやすい職業でもあったんですよね。
両親、特に父親は「先生になるんだったら応援する」とすごく喜んでいました。2浪して国士舘大学に入学したのですが、浪人中は新聞配達をして奨学金をもらっていましたね。
だけど上京して大学生活を始めてみると、テレビをつければ常に芸人さんが映っていて。ぼくが大学生だった90年代から00年代にかけては、バラエティ番組全盛期でしたから、毎日のようにお笑い番組を見ていたら、本来の夢がむくむくと湧き上がってきました。
――再び芸人の夢を追いかけることになったのですね。
屋良さん:親には仕送りもしてもらっていましたから、いきなり「芸人になる」とは言いづらくて。体育教師の資格は取ってちゃんと卒業はしようと思って。教育実習にも行きましたが、教壇に立つと高校生を笑わせることばかり考えていましたね。
今考えれば、体育教師の道を目指したことは、芸人の仕事に生きているし、介護施設のレクにも役に立っていると思いますけど、父親は卒業したら沖縄に戻って教師になるもんだと思っていましたから…。父親に卒業証書を渡して芸人を目指すと伝えたら、「ふざけんじゃないよ!」って、すっげえ怒ってましたね。
卒業後はそのまま東京に残って芸人として稼げる日を夢見て、焼肉店でアルバイトして食いつないでいました。たまに出る舞台で華やかな瞬間を味わった後、肉をさばいている自分は「何してるんだ…」と思ったこともありましたけど。
最初は同郷の幼馴染とコンビを組んでいたんですが、うまくいかなくて。どうせスベるなら自分ひとりの方がいいかもと思って、ピン芸人になりました。
ピンになったばかりの頃は、ライブでお客さんが5人ということも当たり前。全然ウケない日も多かったから、メンタルが強くなったのか、介護施設の利用者さんがぼくの芸を見てポカンとして反応がなくても、全然平気なんです。
――施設でもお馴染みの芸を披露されるのですか?
屋良さん:いやいや、胸叩いたら危ないですからね、やりませんよ。簡単な体操を教えたり、ゲームをしたり。そもそもぼくがパッション屋良ということを認識されていないかたも多いので…。本名の屋良朝苗(やらちょうびょう)です~って、沖縄の有名な政治家と同姓同名の本名を名乗る方がウケがいい(笑い)。
パッションという芸名はノリでつけたといいますか、ぼく自身はそこまで情熱的なタイプでもないんですよ。あの頃、ちょうどブルーハーツの情熱の薔薇が流行っていて、情熱の屋良…パッション屋良で行こうって、友人の芸人とファミレスで考えつきました。あの芸(やらやらパンパン)も新宿の公園でネタを考えている時にふと思いついたもの。胸に虫が止まったので、それを払う時に、大げさに胸を叩いてみたらこれ意外と面白いかもって。
――ブレイクして月収500万円の時代もあったとか。当時を振り返って思うことはありますか?
屋良さん:当時は完全に調子に乗ってましたね。忙しくてイライラして取材陣に横柄な態度を取ったこともありましたから、あの頃の自分をぶん殴ってやりたいですね。
売れるようになったきかっけは、2005年に深夜番組『お笑い登龍門 』(フジテレビ)で、30組ぐらいいる芸人の中でトリをさせてもらったら、一気に「あいつ面白いぞ」と話題になったあたりですかな。お笑いのイベントで何千人ものお客さんを目の前にした時は「売れた…」と。子どもが真似をして危ないからと一部の小学校で「パッション禁止令」が出たという話を聞いたときは驚きました。
朝から晩まで忙しくて、体力的には全然問題なかったんですけど、妻からは「一緒に住んでたのに、あの頃はひとり暮らしみたいだった」と今でも言われます。
14才のときから付き合っていた妻とはブレイクした直後、2005年に結婚しました。4人の子供に恵まれまして、まだ下の子は中学生。まだまだお金がかかりますから、頑張って稼がないと。20代後半からわーっと売れて、しばらく忙しくしていたのですが、2010年あたりから仕事が減ってきて、沖縄に帰ろうかと思い悩んでいたとき、東日本大震災が起きたんです。(第2回に続く)。
◆パッション屋良
1976年7月23日生まれ、沖縄県出身。国士舘大学体育学部卒業。高校の保健体育の教員免許を持つ。4児の父。情熱的な体操のお兄さん風のキャラクターに扮し、胸を激しく叩くリアクション芸「やらやらバンバン」で大ブレイク。2011年からは沖縄に拠点を移し、パーソナルジムの運営や介護施設のレクリエーション担当としても精力的に活動中。
取材・文/吉河未布
