母・石原昭子に「悔いのない最期」を迎えてもらいたいと、「チーム石原」のメンバーが力を合わせた。今となっては「楽しい思い出」である(写真提供/石原壮一郎、以下同)
一昨年の夏に送ってくれたらっきょう。毎年、たくさんの梅干しも届いた。減っていくのは寂しいが、母の気持ちを感じつつ味わって食べたい。らっきょうも梅干も、やがてなくなってしまう日が来る。「最期の1個」は、どんな味がするだろうか
たくさんの友人やご近所や親戚が、起きられなくなった母のお見舞いに来てくれた。母のことを覚えていてほしくて、やや迷いつつも写真を撮らせてもらい、プリントアウトしてプレゼントした。もらった側は戸惑ったかもしれない。真ん中は仏壇に飾ってある母の遺影。かなり若い頃のものだが、本人の希望で父の遺影と同じ写真を元に作ってもらった
母は新聞やラジオ番組への投稿が“ライフワーク”だった。ファイルされていた切り抜きや昔の写真、母に“インタビュー”したエピソードなどをまとめて、この冊子を作成。一時はヒヤヒヤしたが、無事に間に合って、母は友人たちから読んだ感想を聞くこともできた
退院したばかりの3月初め、遠くに住む孫と6歳のひ孫がお見舞いに来てくれた。ひ孫が大きくなったときは、どのぐらい「あきこバアバ」のことを覚えているのだろう。聞いてみるのが楽しみである。孫(私の娘)が幼い頃も、同じ笑顔で遊んでくれたものだ
煙になって、空にのぼっていく母。窯の扉が閉まるのを見て何を思ったか、このあとどんな気持ちで骨を拾ったかは、よく覚えていない
父・石原健二と結婚したのは昭和36年1月11日。18歳のときに山里から海辺の町に嫁いできた。5年ほど前、新聞の「一行詩」のコーナーに「亡き夫に! そちらに私の席がありますか。大きな顔してそちらに座りたいです」という詩を寄せていたが、さて席はあっただろうか
母が6年前に書いて、仏壇の引き出しにしまっておいた「遺言」。何を思いながら、いつか読む我々がどんな顔をすると想像しながら書いたのだろう。私も「いつ何があってもおかしくない歳」になったら、母を見習って家族にメッセージを残そうと思う
去年の4月上旬、妻と3人で伊勢市の山あいにある横輪町に、全国でここにしかない「横輪桜」を見に行った。母にとっての最後の花見だ。大ぶりの花を見上げながら「父ちゃんとも来たなあ」と呟いていた