母が体重やお通じを記載していたカレンダーと、その隣に長いあいだ貼られている「長寿手ぬぐい」。83歳だった母は、毎朝どんな気持ちでこれを眺めていたのだろうか(写真提供/石原壮一郎、以下同)
上は、高校の卒業式の日。下はそれから65年後に、母のお見舞いに来てくれたときのもの。前列向かって右が母、前列左のいくちゃんと後列左のえっちゃん、そして写真上で合流してもらった後列右のあきちゃん(埼玉在住)の4人は、上の写真と同じ位置で並んでいる。後列中央は、小中学校時代からの友人であるふさちゃん。誰もがそれぞれ多くの苦労を乗り越えてきたことだろう。65年後にこうして顔を合わせて笑い合えている写真を撮れてよかった
「夕刊三重」2025年5月26日付より。感謝を伝えられている側としては、ひじょうに面映ゆい。母は投稿が掲載されると、定規を当てて周囲をマーカーで囲んでいた。このときは力が十分に入らなかったようで、いつもは真っすぐな線が微妙に曲がっている
トイレに掛けられていたカレンダー。まだ立つことができた28日と29日も、体重が書き込まれていない。お通じも1週間以上なかったようだ。ベッドから起きられなくなったのは、医療用麻薬の増量が直接の原因ではなく、そういう“時期”だったのだろう
沖縄、北海道、箱根、鎌倉、東北、浅草や柴又……。父親が元気だった頃も、いなくなってからも、いろんなところに出かけた。写真は2007年夏に沖縄に行ったとき。妻が「お義母さんの水着も持ってきたからね」と言うと、最初はしり込みしていたが、やがて覚悟を決めて着てくれた。生まれて初めての水着&海水浴だったらしい。このとき母は65歳、父は70歳。気が付くと、自分も妻も当時の母の年齢に近づいている
母は毎年、近所の家で梅の実をもらってきて、たくさん梅干を漬けていた。春ごろから「今年は漬けられやんかな」と寂しそうに言っていたが、教えてもらうことはできる。起きられなくなった直後、まだ青い実だったが、妻と孫と初めての梅干作りにチャレンジした。妻が桶の中を見せながら「こんな感じ?」と尋ねると、その時だけは大きく目を見開いて、はっきりした言葉で「うん、大丈夫」と答えてくれた。出来上がったときには母はいなかったが、れっきとした「共作」だ。ちょっとしょっぱめで、オツな味である