倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.68「入院生活の不自由さ」
漫画家の倉田真由美さんの夫、叶井俊太郎さん(享年56)は、最期を迎える場所は病院ではなく”自宅”を選んだ。手術後の激しい痛み、再手術の恐怖…。そんな入院生活は1か月に及んだという。「家がいい」。夫が覚悟を決めるまでの経緯を振り返る。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
闘病生活で最もつらかったこと
2023年8月下旬から、胆管のステント交換手術を何度も繰り返すことになった夫。失敗→リカバー、そして体内で古いステントと新しいステントが絡んでしまうという再度の失敗で、七転八倒の痛みに苦しめられました。
「飛び降りて死ぬために、10階に向かってる」と入院先の夫から電話があり、医師や看護師さんたちも病室に監視カメラを設置したりと大変な騒ぎになりました。
振り返って、夫の闘病期間の中で最もつらかった、苦しかったのがこの時の痛みでした。
「すい臓がんは痛い」と聞いていたので夫も私もそれを恐れていましたが、たまたまなのか夫はがんによる痛みにここまで激しいものはありませんでした。痛み止めがうまく効いていた可能性もありますし、がんの場所にもよるようです。
希死念慮に駆られる夫の痛みを取り除くための、再度のリカバー手術はすぐに行われることになりました。
夫が、痛みを我慢しない性格だったおかげもあると思います。痛い時は遠慮せず「痛い!」と訴えることで、問題発見が早まったり物事がスピーディに進んだりします。
夫からは何度も「怖い」と連絡がきました。手術が怖いとか病気がどうなるかということではなく、発熱などで手術が中止になることを恐れていました。この時の夫は、手術して痛みを取り除くことだけが望み、頼みの綱です。
でも手術予定日当日は、38度を超える熱が出ていました。私も不安でしたが、手術は決行されることになりました。
自宅で祈りながら、私は手術成功の一報を待っていました。
二度と変わらない夫の決心
夫から電話があったのは夕方頃。麻酔の影響か少し朦朧とした様子で「成功したみたい」と。
痛みもなくなったということで、胸を撫で下ろしました。翌日お見舞いに行くと、自殺したいほど痛みに苦しんでいたとは思えないくらい元気になっていました。
「どこも痛くない」
嬉しそうな夫。最初から「死ぬことより痛いのが嫌だ」と言っていた通り、痛みこそ夫が最も恐れるものです。痛みがなくなり、早速食欲も出てきて果物などを食べました。
そしてもう一つ、夫が絶対に避けたがるようになったことがあります。それは「自由がないこと」でした。1か月近くに及ぶ長期の入院で、夫はほとほと病院生活に嫌気がさしたようです。
夫はそもそも、じっとしているのが苦手な人です。仕事、そして人と関わるのが大好きな人です。
「もう絶対に入院したくない。家がいい」
夫は長くなったこの入院体験で、最期まで家で過ごすことを決めました。そしてその決心は、その後二度と変わることはありませんでした。