コメント
この記事へのみんなのコメント
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癒己
2024-12-12
マナミコさん、お帰りなさい。シーズン2として続けて下さってありがとうございます。似たような環境、同じような思いをしてる人達の励みになってますよ。私も自分の人生を色んな事で選択する時に、選択肢を天秤にかけるように『後悔の少ない方』を考えて選んで生きるようにしてます。先々、後悔する時があってもすぐに自分の選択肢で良かったんだと納得できる方を選ぶようにして きました。私も自分のペースで、また見にきます。一気読みになったりもしますが。マナミコさんも自分のペースで気ままに気楽に書いて頂けたらと思います。
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あこ
2024-12-06
再開を心待ちにしておりました。こんなに早く、ととても嬉しく思っています。私も週に1度夫を家に連れて帰る自己満足を続けています。理由の一つにはマナミコさんと同じくスタッフの方々へのアピールもあります。両親の介護の経験からこれは無関係とは言い切れないことを感じていたものですから。夫のグループホームはスペースが狭いので面会は玄関先でしかできず館内に入って自室とか談話室での面会が不可能なので、それもあって面会ではなく自宅に半日連れて帰るという手段をとっています。いずれにせよ、週に一度お兄様に顔を見せることはお兄様にとってもマナミコさんにとっても良いことばかりだと思いますので、無理でなければできる限り続けられると良いと思います。でも義務感を感じてきたらその時は出来る範囲に変えても構わないと思います。私はせっかく施設入所が出来てお互いの距離感が良い関係を築けているから、その関係を壊してまで義務で行動をするのはやめておこうと思っています。マナミコさんとお兄様のこと、在宅介護から施設入所に至った同じ経験から、今後もお話を楽しみにしております。
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のりぴー
2024-12-05
再開を楽しみにしておりました!私も母が脳梗塞で入院し右半身不随+言語障害となり、一気に要介護5。妹も私もフルタイムの仕事があり、自宅介護は不可能という検討結果に。医療介護のしてもらえる老人ホームに入ってもらいました。毎週末面会には行きましたが、今でも「良かった50申し訳なかった50」です。でも、仕事をやめて自宅介護を選んだら、母が同じ気持ちになったと思っています。 もう亡くなりましたが、「その時に選んだことが最善」と思っています。
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マモコ
2024-12-05
連載再開を待ってました!義父の下の世話で苦労していた時期、マナミコ様の文を毎週待ちかねて読んでおりました。義父は施設で半年余り穏やかに過ごした後、他界しまして、お兄様の施設入居で緊張がほどけたマナミコ様のくらしや、後悔しないためにまめに面会に行くことなど、共感することばかりです。今はゆっくり充電なさってください。
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あおむし
2024-12-05
まなみこさんはじめまして 初回からずっと拝見させていただいております まなみこさんすごく頑張っておられると思います。 しかしながらもっともっと介護に疲れてる人もいることも知ってほしくて初めてコメントします。 4人の介護をしてきました。大変です。 今もしてます。まなみこさん、頑張ってください
最近のコメント
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月香
2026-02-13
私も押し入れの中に大事に置いたままのガスボンベがありその時点で調べて10年位の物もありどうしようかと思っておりましたが、一応ベランダでカセットコンロに装着し火を付けましたら問題なく点火しました。そのまま使い切ろうと思いずっと付けておきましたがそれはそれで勿体ない気持ちになり、ヤカンを乗せてお湯を沸かしました。カセットボンベは何本かありましたのでヤカン何杯分かお湯が出来ました。ベランダでガスを抜く作業は絶対にダメだと禁止されているのであれば、コンロに装着し使ってみてください。使えばガスは溜まりませんよ。
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まう
2026-02-12
一気に読ませていただいてます。少しでも、天国のお母様に気持ちが届いてますように、作者様に今癒やしの時間がありますようにと願いながら読ませていただいてます。そして「わかるなぁ」と、おとなしく読ませていただくだけのつもりが、どうしてもコメントをさせていただきたくなりました。 作者様はその都度その都度、出来る最大限のことをお母様にされたと本当に思います。 例え「ありがとう」が返ってこなくて文句のような答えが返ってきたとしても、繰り返し繰り返し できる最大限のことをされたと思います。 私もそうだったと信じたいですし、信じています。私のことを少しだけ吐き出させてくださいませ。 2020年3月、旅行業という私の仕事も状況が変わり、母が同時期に倒れ、そこからはリモートワークや病院勤めで耳にヘッドセットをつけながら母の食事を作っていましたっけ。私も器が大きくなかったのか 苛立つこともありました。 ですが、亡くしてから3年、母のことを想わない日は1日もありません。母がいよいよ数時間でお別れかという時、病室の酸素吸入の音と肩で息をする母を抱きしめました。 どうして、恥ずかしくてもなんでも、母が家で生活してくれていたときに1度でも抱きしめなかったんだろうとそれだけが心残りです。自らの病が辛かったのでしょう。徐々に生きる気力をなくした母に「生きて居てくれるだけでいいんだよ」と言ったのですが、母自身がやはり気力をなくす程辛かったのだと想います。 亡くしてから(介護者自身に余裕や空白の時間ができてから)感じることもあると想います。 偏食の母が心配すぎて病院なのに差し入れ夕食を毎日のように持っていきました、が 今想うのは、母が元気なときに、本当に優しくしたかった(でも照れくささや甘えでできなかった)。 病院に対して感じるのは、感謝と、母へ持って行ったスプーンフォークセット(こどものお弁当のような)が、なんだか綺麗なままで、、「母はちゃんと食べさせてもらっていたのかな」ということも考え、切なくなんともいえない気持ちになりました。 意思疎通ができる間に、自分の家族や周囲や、出会う人に、誠実に接していこうと感じます。母も安心するでしょう。 突然でてきた作者さんの記事、読ませていただいて本当に有難うございます。沢山泣いて、すっきりしたように想います。
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みみ
2026-02-12
わが身を振り返る内容です。気づかぬうちに、すっかり人付き合いの筋トレ衰えています。 人並みの社交性はあったものの、中年過ぎると、若い時みたいに、一緒に楽しもうよ!っていうより、なにかとひとの生活を詮索する人が増えた気がします。 年とともに脳の前頭葉も衰えてくるからか、相手の気もちも考えず、ズケズケと自分が聞きたいままに質問してくる人が多くなり、人付き合いがニガテになってしまいました。よそのお金事情、家族構成、家族の介護や病気が気になるようで、楽しい会話というより、もはや国勢調査みたいです… つがえさまのご友人のように、視野が広がる人付き合いはいいなと思いつつ、また詮索やウワサ好きな人に会いそうでつい萎縮してしまいます。 ところで、お兄さまが、その後ご無事に過ごされていらっしゃって安心しました。お大事になさってくださいね。お兄さまの介護時の連載からの読者ですが、介護を離れられても変わらず、連載を楽しみに読んでいます。いつもありがとうございます。
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