兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第258回 兄、再びショートステイへ】
5月に行ったショートステイ先で突然倒れ、その後歩くことができなくなった兄。何が原因か検査を受けることになりました。主治医の財前先生(仮)からは、冷たく「特に異常なし」との見立てを言い渡たされたものの、結局同じ病院の神経内科を受診。そこでようやく兄の病状に向き合ってくれる医師(柄本佑似)に巡り合います。それでも、歩けない兄の通院は大変…。妹のツガエマナミコさんの奮闘の日々は続いています。
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神経内科の先生があっさり許可したショートステイ
痙攣を起こして倒れたあと、兄は歩くことはおろか、自分で起き上がろうともしなくなりました。できないのか、する気がないのかはよくわかりません。ただ、歩き回ってアチコチで排泄されるより、ベッドの中で納まっていてくれる方が介護する側は楽でございます。どこで排泄されるか分からない戦々恐々とした日常から解放されて、ツガエはだいぶやさしい人間になりました。
倒れる前から決まっていたSS(ショートステイ)にも予定通り行けまして、ありがたさを噛みしめました。施設側としては「病院の先生の許可があれば、その状態でもこちらは受け入れOKです」とのことだったので、先日神経内科を受診した際に「ショートステイに行ってもいいでしょうか?」と伺ってみたのです。俳優の柄本佑さま似の先生は「はい、大丈夫ですよ。ダメな理由は今のところありません」とあっさりOKを出してくださいました。ツガエは「検査結果が出るまではSSもお預けかもしれない」と思っていたので、小躍りするほど嬉しく、外泊が問題ないという事実に安堵致しました。
倒れてから初のSSは3泊4日。家ではツルンとした柔らかいものしか食べなかったので、施設での食事を心配しましたが、「妹さまのお話から想像していたよりたくさん召し上がってくださいました」と嬉しい結果。ド素人のわたくしが案ずるまでもなく、プロの献立は兄にフィットしたようでございます。
前回のSSでは、自室で排便してしまい、踏み歩いていたことが記されておりましたが、今回は居室ベッドで穏やかに過ごした、とあり、問題なく帰ってまいりました。
ただ、面倒なのは、ベッドから車いす、車いすからベッドへの移動のためだけにヘルパーさまを2人お願いしなければならないこと。もちろんケアマネさまが手配してくださるのですが、送迎の時間を確認してそこに間に合うようにヘルパーさまを予約しなければなりません。介護タクシーの場合は、行きはベッドから、帰りはベッドまでが全部込みですが、SSでは、マンション下までの送迎なのです。立ち上げれないということは本当にお金と人手がかかるものでございます。
しかし、兄の救急搬送から怒涛の2週間を過ごしたあとの3泊4日のSSは、わたくしにとって待ちに待った休暇。イレギュラーな出来事が続いたので、今日が何曜日なのかわからなくなり、どこに何を連絡しなければならないか混乱し、「何か大事なことを忘れていそう」という恐怖に苛まれる日々でございましたから、ほっと息をつく時間になりました。
仕事が溜まりに溜まっておりましたので、今回のSSは、ほぼほぼ原稿書きで終わってしまい、人に会うことなく、あっという間でございました。
隣町まで買い物に行っても、介護グッズや介護食品ばかり購入。自分の買い物をしたいのに、いざとなるとほしいものが何もないのでございます。外食できるチャンスにも関わらず「家の冷凍食品を食べてしまわなくちゃ」と考えてしまう貧乏性でもございます。
兄が家にいるときは尚のこと、自分の食事が雑になります。兄にひと匙ひと匙ご飯を食べさせていると、なんだか自分も食べた気になってしまうようで、ちゃんと作って食べる気が失せてしまうのでございます。かといって一人で出前を取るわけにいかず、コンビニ弁当もそそられないので、冷凍やレトルト食品を中心に簡単に済ませることが多くなりました。これでは免疫力が落ちてしまうと思い、頑張れる日は肉じゃがなどの煮込み野菜をひと鍋作っては2~3日かけて食べております。
そして先日、脳波と頸椎のMRI検査を受けに行ってまいりました。検査室には本人しかはいれないので中の様子はわかりませんが、特に問題なく意外なほどスムーズに検査が終わり帰ってまいりました。気になる検査結果は次回ご報告いたします。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ