兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第244回 寝坊でデイケアをお休みした日」
若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが綴るエッセイ。今回のお話は、兄が朝起きずデイケアに行けなかったというお話。週1回、兄がデイケアに行く日はマナミコさんにとって息抜きのとき、ストレス解消の“一人カラオケ”に出かけられる貴重な日なのです。しかし、その大事な日に、兄はなかなか起きてくれず…。
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起きない兄との格闘
いや~、やられました。
デイケアの朝、起きないモードに突入されてしまいました。
何度起こしに行っても、「あんパンあるから食べよう」とニンジンをぶら下げても、「ふん、ふん」というばかりで起きようとしてくれません。10分説得し、しばらく放置し、忘れた頃にまた「おはようさん!」と言ってみると今度は少し起きる気配を見せるものの、やはり起きない。
おでこを触ってみても熱はなさそう。「どこか痛い?」「具合悪い?」「大丈夫?「起きられる?」と聞いても「ふん、ふん」と言うばかりで「うん」とも「ううん」とも取れない返事ばかり。それを何セットも繰り返すうちに、8時になってしまいました。デイケアのお迎えは8時35分。「今日は間に合わない」と判断したわたくしは、「お迎えの時間に間に合いそうにないので送迎はナシでお願いします。行けそうだったら歩いて行きます」とデイの施設にお電話をいたしました。施設までは歩いて2~3分です。車に乗るのが好きな兄のために送迎を利用し、長く乗れるように一番はじめに乗せてもらうようになって1年ほどが経ちました。でも本来は9時30分までに徒歩で通っていたのでございます。
あと1時間半あれば、何とかなるだろうと、その後も「朝だよ~、起きましょう」という声掛けと、しばらく放置を繰り返しましたが、9時30分になっても起きようとしてくれませんでした。「施設に入れるのは10時までです」とご連絡をいただき、「今日はお休みします」とお伝えいたしました。
そうなったらもう、いつまで寝ていてもらってもいいので、イラつくことなくお仕事を開始。お昼に「お昼になっちゃったよ」と起こしに行ったけれども相変わらずだったので、わたくしもお昼ご飯を抜いてお仕事。気付けば3時を過ぎており、さすがに本格的に起こさねばと思い、長期戦覚悟で臨みました。「もう3時すぎちゃったよ」というと「へへぇ」とにっこりしたので起きるかなと思ったのですが、体が固まっているようで体制を変えられないようでございました。
床敷きの敷布団の頭の方を持ち上げると「イテテ、アイテテ、何すんだよ」と言われました。でもここでひるんではダメだと思い、上半身を立たせるように足を入れて背中を支え、10分ほど座った状態にすると、ようやく起き上がる気になったのか、文字通りの”重い腰”を持ち上げてくれました。朝から数えると8時間30分ほどかかったでしょうか。
恒例の横漏れで、脇腹から太ももの辺りまでびっしょり濡れておりました。シャワーに誘導し、服を脱がせ、お湯をかけると「いいね~」といつも通りのごきげんっぷり。浴室暖房やすぐにお湯の出るシャワーがあることのありがたみをヒシヒシ感じました。
朝食のパンとお昼の焼きうどんを一気に召し上がり、これで夕飯が少し遅くなっても大丈夫だろうと思ったところが、夕方キッチンをうろつき、炒めかけのフライパンの野菜に指を突っ込んでつまみ食いするありさま。自由過ぎる兄にムカつくやら、あきれるやらの一日でございました。
夕方まで起きなかったのはこれまでにもございました。けれど、デイケアの日としてはお初です。恒例の一人カラオケができなかったことは悔しいですが、またすぐにショートステイが待っております。起床を急かせばますます起きないモードに入ってしまいますし、「起きましょう」としつこく言い続ければ逆に起きる気を失くしてしまいます。適度に押し引きしながら時間をかけて徐々に起こすしか、わたくしには思いつきません。ショートステイの朝は早めに起こしはじめなければいけないなと戦略を練っているツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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