兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第228回 人生初の救急車体験】
大変です。若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが、仕事帰りに、激しいめまいと吐き気に襲われたのです。自宅の最寄り駅までなんとか辿り着いたものの、もはや歩くこともままならないマナミコさんは駅前の交番に助けを求めましたが、警官から促されて、結局、救急車を呼ぶことになりました。マナミコさんの身に何が起きているのでしょう。
* * *
病院から帰宅すると、ふたたび悲劇が…
「歳をとると、今まで起こらなかったようなことが起こりますよね」
そうおっしゃったのは、救急車で搬送された病院からの帰りに乗車したタクシーの運転手さまでございました。
本当に、これまでになかったことです。わたくし滅多に体調を崩すことがなかっただけに、突然のめまいと吐気にすっかり動揺してしまいました。今考えると、うんと時間をかければ歩いて帰ることもできたと思います。でも病院で「なんでもない」とわかって安心できたことは大きく、このあとに家で待ち受けていた悲劇を思うと、救急車を呼んだ判断は正解だったと感じています。
取材先から必死で自宅最寄り駅まで帰ってきたものの、結局駅前交番から救急車を呼んだわたくしは、救急隊の人に抱えられるようにして救急車に乗り込みまして、ベッドに寝かされました。
でもすぐに動き出すことはなく、始めは名前や年齢、生年月日を聞かれ、保険証を手渡すなどし、「体温を測りましょう」と脇で測るタイプの体温計を手渡されて、心電図のためのパッチを鎖骨の下辺りと左脇腹に貼られ、人さし指にはコロナでおなじみになったパルスオキシメーターを付けられました。
手を挙げたり、握手をしたり、眼にライトを当てられたりし、今どんな風に具合いが悪いか、何時頃どこでどんな風に具合が悪くなったのかなど、今に至る経過を事細かく説明する時間がありました。
そうしてやっと搬送先の病院に連絡をし、サイレンを高らかに響かせて動き出しました。5~6分で病院に到着しましたが、意外だったのは救急車の乗り心地の悪さでございました。揺れが激しく、後ろ向きで進んでいくのがどうにも気持ちが悪く、治まっていた吐き気が舞い戻ってきました。
病院に着くと、ベッドのまま滑りおり、ピタリと並んだ病院のベッドに横移動。あれよあれよと救急処置室に入り、再び救急車内と同じような手足の確認や目のライト、質疑応答がありました。血液検査と心電図、点滴の針が刺され「吐気止めを入れときますね」といわれて、カーテンで仕切られた場所に移動されました。
「血液検査の結果が出るまで1時間以上かかるので楽にしていてください」とタオルを掛けられると、ほどなくして寝落ち。時々先生が入ってきて、左右の頬に氷を当て、冷たさが違わないかを確かめられたり、眼の動きを確かめられたり、とにかく体の左右に違いがないかをしつこく検査されました。
脳梗塞など脳の病気からのめまいの可能性を排除している検査だと分かったので、わたくしも左右差がないことに安心いたしました。
「血液検査に問題はなく、脳の病気の可能性もほぼないのでCT検査の必要はないと思います。おそらく年齢による良性のめまいの可能性が高く、耳の中の耳石が動くことで起こるめまいの可能性もあるので、今後めまいが続くようなら一度耳鼻科に行ってみてください」という説明があり、無事解放となりました。滞在時間は1時間半ほど。夜7時半を過ぎていました。
会計機に出てきた支払金額は9440円也! 救急隊員の方も病院の方々も本当に優しく、ありがたい存在なのだと身に沁みました。
ところが、それで終わらないのが兄ボケ家でございます。家のドアを開けた瞬間にお便さま臭が鼻から脳に突き抜けたのでございます。元凶は兄のお尻とキッチンに落とされたゆるいお便さま。それを踏んづけた足で歩き回っていたとみえ、キッチンを中心にリビングや廊下がお便さまの足跡祭りでございました。兄のズボンにはお便さまが付きまくり、兄の椅子にもベットリ…。とにかく家中がお便さまで汚されておりました。
それを休む間もなく掃除しなければならない自らの境遇を呪いました。兄を浴室に連れて行き、シャワー、着替えをし、家中を拭いて回りました。動作はあくまでスローに、頭の角度を変えないように気を付けながらやったので、終わったのは夜11時近く。途中、兄には非常食のカップラーメンを食べてもらいましたが、自分は食欲がなく、働きづめで一日を終えました。病院で点滴をしていただき、吐き気止めを注入していなければできなかったことだと思います。
「歳をとると、今まで起こらなかったようなことが起こる」
還暦の今年、自分を過信してはいけないと学んだツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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