兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第224回 食欲が戻ってきたのはいいけれど…】
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが綴る連載エッセイ。兄は、排泄のトラブルに加え、“食べる”という行為も忘れてしまったのか、このところ食が細くなり、マナミコさんが食事の介助もする日々となりました。そんな中、ついに介護施設を視野に入れ、先日少し長めのショートステイを体験してきた兄でしたが、無事に帰宅した兄との日常が戻ってきました。
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知人と久しぶりに話しました
20代にアルバイトをしていた喫茶店の店長(女性)と、久しぶりにお電話でお話しする機会に恵まれました。年賀状ではつながっていたものの、30年以上会うこともなく、すっかり疎遠になっていた方でございます。ただ、風のうわさで、お母様の介護や職場でのストレスで「ちょっと精神的に参っているらしい」と聞いておりました。
急にお電話があって、お母様が亡くなった話や遺品の片付けの大変さ、介護がいかに大変だったかを時系列があちこちしながら小一時間お話しになり、「今度会いましょうね」とおっしゃって電話は切れました。「お友達いないのかしらん」と思いながら、精神状態の不安定さを少し感じてしまいました。まぁ、近い友達には言えないことも、遠い知り合いには言いやすいということは確かにありましょう。わたくしだって身近な友人には、「兄ボケ」ほど辛辣に不平不満を語ることはありませんから…。ここがいかにわたくしの癒しになっているかを再確認いたしました。
「親の介護は全部やってきたから、だいたい何でもできるわよ。一人で手が回らなかったら行くから連絡して本当に」という暖かいお言葉をいただきました。
それから間もなく、まったく別ルートの懐かしい方からお電話をいただきました。こちらも20年近く疎遠になっていたお仕事関係の女性でございます。やや仲たがいのような雰囲気になってお互いに連絡を取らなくなってしまったのですが、夏に共通の友人が亡くなったことで、またご縁がつながりました。今は介護の仕事をしているそうで、わたくしが認知症の兄と暮らしていることを話すと「今は介護が本業だから何でも相談してね」と、ここでも優しいお言葉をいただきました。
お二人ともがやさしいことにわたくしは驚愕いたしました。介護の現実を知っていると「もう懲り懲り」と思うのが普通だと思うのです。わたくしなら、口が裂けても「介護手伝うわ」とは申し上げられません。介護経験を活かしてヘルパーの資格を取るなどもってのほか。我ながら「心狭いな…」と自覚いたしました。
そんな介護の日々に、ひとつだけ朗報がございます。
すっかり食欲を失って痩せ続けていた兄の食欲が最近になって復活してまいりました。食事は相変わらず介助が必要なのですが、なんとご飯は残すくせに、食後にキッチンをウロウロしてバナナを食べてみたり、あんパンを見つけてこっそり食べたりするようになりました。
兄の朝食用の菓子パンが夜の内になくなってしまうのは困るので引き出しや戸棚の中に隠すことにいたしました。さすがに食パンは甘くないので、そのまま出しておいても大丈夫だろうと思っていた矢先、ちゃっかりやられました。6枚入りの食パンが所定の位置から消えており、兄の部屋を偵察しにいきましたら、お尿さまが入ったポリ容器の隣に袋の口が開いた状態で鎮座していたのでございます。
5枚になった食パンの袋。しかもお尿さま入れの隣の床に無造作に置かれていた食パン。一応、兄の部屋からリビングに持ってきたものの、もうわたくしは食べる気がいたしません。兄の目の前に5枚入りの食パンの袋をドンと置いて、お昼になるまで部屋で仕事をいたしました。お昼になってリビングを観るとパンの山。5枚全部食べかけの状態でテーブルの上にのっておりました。
「なにこれ?全部かじり掛けじゃん」と呆れるわたくしに、兄は「エヘヘ」と悪びれない様子。本当に腹が立ちます。
とまぁ、殺伐とした感じで毎日が過ぎている兄ボケ家でございます。
そんな兄に嫌気がさして施設入居に向けて邁進しているのですが、3泊4日のショートステイから早1か月、次の段階になかなか進んでいないのが現状でございます。一旦わたくしが希望を出して、奇跡的に速攻で施設から「どうぞ」と言われたら、兄は施設に入居しなければなりません。兄の人生を左右することの重大さにビビっていると申しましょうか。この期に及んで「これでいいのだ!」と「本当にいいのか?」とがせめぎ合っているツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。