兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第183回 紙袋から染み出た謎の液体】
若年性認知症の症状が進行する兄の行動は、あまりに予想外で不可解なため、いつも妹のツガエマナミコさんを驚かせ、困惑させます。病気のせいだとわかっていも、腹が立ってしまう。そしてその怒りを兄に直接ぶつけることもできず、どんどんストレスが溜まるマナミコさんなのですが…。
「嫌がらせですか?恨みでも?」
先日、わたくしの部屋のゴミ入れ(ショップの紙製手提げ袋を利用しています)に少量の液体が入っているのを発見し、深夜にメラメラと怒りが燃え上がったツガエでございます。
仕事で外出し、夕方お弁当を買って戻ってきた日でございました。それを発見したのは、あとは寝るだけとなった深夜です。ゴミ入れ用の紙製手提げ袋から得体の知れない液体が染み出ているではありませんか。お尿さまの匂いはしなかったのでたぶんお茶だったのだと思いますが、兄がわたくしの部屋に入って、コップに入ったお茶をわざわざ袋に流し入れている姿を想像してゾッといたしました。紙袋の近辺には資料として保存してあるほんの山があるのでなおのこと、水分厳禁区域での狼藉に怒り心頭してしまったのです。
紙袋を捨て、床に染み出た液体をぬぐい、その夜は「まったく、どうしてこんなことするの? 嫌がらせですか? 何か恨みでも?」と声を殺して叫び続けておりました。新しい紙袋には厚手のビニールをセットし、資料本もビニール加工の手提げ袋へ。ムカムカしながら眠りにつく折「こうして少しずつストレスを溜めれば100歳まで生きるなんて面倒なことは回避できるかもしれない」と、まさかのポジティブシンキング。これではストレスが体に蓄積せずに長生きしてしまう……と考えてなんだかアホらしくなりました。「長生きしたくないと考えていたら案外長生きしてしまう説」を検証している気分でございます。
前回ひらめいたデイケアの送迎を、スタッフの方にお願いすると「もちろんいいですよ。次回からでもいいですか?」と即OKをいただきました。兄が車に乗りたそうな言動があったことをお伝えすると、わたくしが考えたように最初に兄をピックアップしてから数軒回ることを提案してくださいました。歩けば2分の道のりがたっぷり30~40分の車移動になります。
必然的にこれまでより30~40分早く支度をしてマンション下に待機することになりますが、その分わたくしの自由時間が長くなるということ。早起きする甲斐もございます。
気が付けば、送迎の「迎」でお話が盛り上がって「送」のお話は皆無でございました。まぁ、帰りは今まで通りお迎えに行ってもいいかなと思っておりますが……。片道だけでも毎週車に乗って街を走ることで、兄のストレスが軽減し、家での奇行が少なくなってくれることに期待する次第でございます。
デイケアといえば、最近電気シェーバーを購入いたしました。これまでは手動のT字髭剃りを持たせていましたが、剃り残しが目立ってきて、ほんの少しですけれど切り傷を作り、顔に絆創膏を貼って帰ってくることが何度か発生したのです。
わたくしはスタッフの方が手伝ってくださっている…と思っておりましたが、どうやら介護スタッフといえども手動のT字髭剃りで介護者の髭を剃るのは法律で禁止されているとのこと。「電気シェーバーならスタッフが剃ってあげられるので」と伺って「なるほど」と納得いたしました。理美容師さんが髭を剃れるのは国家資格があるからでございます。それは知っているのに「介護施設なら髭ぐらい剃ってくれるのだろう」と思い込んでいたのは盲点でございました。
兄がもともと持っていたはずの電気シェーバーが見当たらないので購入してしまいました。これでスタッフの方に髭を剃っていただけるようになるでしょう。
何でも自分でできていたのにだんだんできないことが増えていくのが認知症でございます。兄を介護するようになってから6年半、頭ではだいぶ理解できるようになりました。でも身体はどこも悪くないのに人の手を煩わせていく兄に「いい加減にしてよ」と思う自分がまだまだ消えません。とどまることを知らない認知症の進行。次は何ができなくなるのでしょうか。介護の負担は増えるばかりでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ