兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第153回 久しぶりのお便さま祭り】
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症の兄と2人で暮らしています。家族で一緒に住むために結集した兄妹でしたが、両親が他界し、ほどなく兄の認知症が発症したのです。日常生活のサポートを続けるマナミコさんですが、一番の悩みは、兄の排泄問題。特に、大きい方、そう「お便さま」の惨事は筆舌に尽くしがたい苦労があるのです。
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久しぶりの惨劇、それは毎日作っている食事のなれの果て…
およそ5か月に及ぶマンションの大規模修繕工事が終わりました。外の景色がクリアに見え、ペンキの養生でビニールだらけだった外廊下もスッキリと片付いて明るくなりました。38戸の築17年マンションで4000万円超えの初大修繕。傷みの少ない部分は温存してコストダウンを計ってなおこの価格ですから、次の大規模修繕のときにはいくらになることやら……。月々の修繕費も上がりそうでございます。
そんな折、ご無沙汰しておりましたあの大人気企画「お便さま出ちゃいました」(そんなのなかったか)の時間がやってまいりました。
お食事中の方はこの先をご覧にならないようにお願い申し上げます。
週に1回のデイケアの日の朝、食事を終えてわたくしがトイレに入って大きなご用を足していると、ドアの向こうを兄が歩いて通り過ぎていくのがわかりました。同じタイミングでお食事をすると、その後に来るお便さまの催しもニアミスいたします。「かぶったか?ヤバイかも」と思ったのですが、こっちも出かかったものを簡単にはやめられません。
「もう仕方がない。お風呂場か兄部屋のごみ入れにやってくれればいいや」と思いながら、恐る恐るトイレから出ますと、兄が洗面所でドタバタしておりました。「あ~、こりゃ案の定やられたな~」と思い様子を見に行くと、兄は汚れた両方の手のひらを上に向けて「どうしたらいいかな」とオロオロしておりました。
見れば、洗面所の床は水分多めの茶色いブツが広がっており、ソレを踏んだスリッパで兄は廊下まで出てきてしまっていたのです。Tシャツにノーパンツ姿で、内股を伝って落ちたと思われるソレが靴下やスリッパも汚しておりました。「そのスリッパ、新しいのに……」と思った瞬間、自分もお便さまで汚れた廊下を踏んでいると知り、若干パニックになりました。
「動けない!どうしよう」
わたくしの“59年物の脳みそ”はフリーズし、兄に「ちょっとそこで動かないで」とお願いするのが精いっぱいでした。
3回ほど深呼吸をして、とりあえず、兄には洗面所の横にあるお風呂場に入っていただき、わたくしはスリッパを脱いで、靴下でキッチンへ向かい、大きめのビニール袋を持ってきて、兄の汚れたスリッパと靴下を脱がせて放り込みました。
シャワーの出し方もわからない兄になんとかシャワーの出し方をお教えして手を洗ってもらい、「しばらくここでシャワーしてて。後ろのお尻がすごく汚れているからちゃんと洗ってね」と言い残し、お風呂場の扉をピタリと閉め、わたくしはゴム手袋をして洗面所の床に広がるお便さまを回収いたしました。
「雨の日のどろ遊びのようだな」と幼き日の記憶にふけりながらも、怒りと悲しみが夏の積乱雲のように立ち上がることを抑えることができません。
「なんでこんなことばかりさせられるのだろう」と半べそをかき、どろんこと格闘していると「結局これはわたくしが毎日作っている食事のなれの果てだ」と気づき、より一層ばかばかしくなりました。わたくしがせっせと買ってきた食材で、わたくしがせっせと作った料理が、巡り巡ってわたくしをこんな風に苦しめている。なんと切ない循環の構図でございましょうか。
「そうだ、今日はデイケアの日だ」と我に返り、とりあえず歩くところを確保するため、廊下を雑巾で3度拭きし、除菌スプレーでさらに仕上げ拭き。見た目は何事もなかったかのように整いました。
シャワーを終えて出てきた兄は何も覚えていないご様子で、妙にさっぱりした面持ちでございます。床に広がるお便さまを額に汗して掃除した妹との温度差は、夏の軽井沢と噴火直前のマグマぐらいありました。そう、確実にありました。
そのマグマを抑え込みながら兄をデイケアに送り届け「今朝はちょっと便が緩くて失敗があったのでシャワーしてきました」とスタッフさまにご報告して、わたくしは家に帰って兄が使用したお風呂場もお掃除いたしました。
思えば久しぶりの惨劇でございました。お便さまについては何度やられても慣れないものでございます。一人カラオケ程度の発散で、このストレスは解消されているのでしょうか? 自分でもよくわからなくなってまいりました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ