料理研究家・松田美智子さん 60代からをおいしく、愉しく生きる極意
2016年6月から、本誌・女性セブンで約100回にわたって連載された料理研究家・松田美智子さんの『旬菜食堂』。
旬の食材をおいしくヘルシーに、シンプルな調理法で味わうレセピはどれも、60代に入り、「ひとりで老いていくこと」を覚悟した松田さんが、自分のために考案した“普段食”でもある。
食を通して行き着いた、残りの人生を美しく生きるための決めごとには、私たちもすぐに実践できるヒントが詰まっている。
人生最後の引っ越しを決断。“終のキッチン”を作り上げた
「面倒なことを人任せにしてはいけないんですって。明日でいいや…もいけない。気づいたときに、すぐ動くの。ラクをすると、脳が怠けることを覚えてしまうから」(松田さん。以下「」内同)
松田さんはそう言って、玄関とキッチンを仕切る磨りガラスのドアにふと目を留めた。
「ほら、こういうこと」と笑いながら席を立ち、助手さんに「大丈夫よ」と手で合図して、クリーナーとクロスを手にした。そして、ドアノブ周辺についた指紋の跡を拭き取り始めた。
「放っておかないことよね、何事も」
2017年12月、26年にわたり「松田美智子料理教室」の拠点であり、料理撮影の現場だった東京・渋谷のキッチンスタジオを、目黒のマンション最上階に移した。
約90平方メートルの空間は自宅も兼ねており、その大部分をダイニングキッチンが占める。内装色は白で統一、設計時から施工会社と妥協なき打ち合わせを重ね作り上げた、松田流“終のキッチン”である。
「“住みたくなるキッチン”を目指したんです(笑い)」と松田さん。
「夫が4年前に鬼籍に入って子供もいませんから、ここからの人生は“おひとり様”をどう愉しむかがテーマ。なるべくひと様のお手を煩わせずに、生涯現役を全うできたら本望です」
独居の母(85才)が大腿骨骨折で入院。「これから私はどうなるんだろう…」
60才を迎え、松田さんは「老い」を真剣に考え始めたという。そのきっかけとなったのは、当時、ひとり暮らしをしていた母が転倒で大腿骨を骨折したこと。長期入院を経て認知症状が出始め、自立した生活が困難となり、松田さんは初めて将来への不安を切実に感じたのだった。
しかし、「悩んでいてもトラブルは勝手に解決しない」が口癖で、わからないことはすぐに調べる松田さんは、すぐさまインターネットで脳に関する情報を徹底的に収集。さらに、認知症の専門医を訪ねて、痴呆・認知症の実態を取材。自らも心身の“キレ”の鈍りが気になっていたこともあって、判定テストを受けたという。
「今のところ認知症の心配はないという診断で、ひとまず安心しました。ただ、睡眠不足気味なので、1日に30分の昼寝をとるように、と。実は、さすがに担当医師には言えなかったんですが、絵柄を覚えるテストの最中、そこに立ち会っていた看護師さんの“握り鉛筆”がパッと目に入ってきちゃって。そうなるともうダメ。“どうしてそんな持ち方になっちゃうのかしら”って、集中力が崩壊(笑い)。こんな大事な時に私ったら…と、後になって猛省しました」
それはきっと、「五感を同時に駆使する」といわれる、料理家の習性からだろう。料理は段取りがすべて。寸暇を惜しむ撮影となればなおさらだ。
きゅうりを丁寧に切り揃えながら、目の片隅で牛肉を煮込む土鍋の湯気を捉え、煮え具合を確認。助手さんに「じゃがいもを3個、皮をむいておいてくださる?」と指示を出しつつ、味をみて調味し、ノートの分量を書き直す。
包丁を握る松田さんの真剣なまなざしと菜箸を持つ無駄のない手の動きには、いつ見ても、何年見ていても目が釘付けになる。明日からは、私もこんなふうにピーマンの白いワタをきれいに削ぎ取ろう。きちんと切り幅も揃えよう―はたで見ているだけで、そう思わせる美しさと気迫が、松田さんの目と手に宿っている。
脳活をテーマにしたレセピ研究を続けている
「料理は化学」が持論で、旬の食材のうまみと栄養を最大限に生かす松田さん。認知症のテスト以後、専門医へのさらなる取材などを経て、現在は、“脳活”をテーマにしたレセピ研究に余念がない。
「ひと言でいえば、たんぱく質を取り入れた、バランスのよいおいしい食事ですね。そして、内臓に負荷をかけない食べ方。昼食はしっかり、夕食は炭水化物を控えて軽く済ませて、夕食と朝食の間は12時間空ける。
もちろん外食もします。その時は、食べたいものを遠慮なく楽しみますが、翌朝は野菜ジュースだけにするとか、食べる量や質を調整すればいいんです。体によいものをきちんと食べていれば、脳が足りないもの、余分なものを教えてくれるようになります」
体によいものは脳にもよい。脳によいものは体を元気にする。丁寧な下ごしらえで旬の野菜のうまみと栄養をしっかり引き出し、肉や魚との絶妙な組み合わせと調理法が生む「理に適った」料理―─
「結局、明日の“元気”は今日食べたものの結果でしょう? 生きるって、その積み重ねじゃないですか。そう考えたら、私は1日たりともいい加減なものを食べられないし、食べたくもありません」
素性のよい食材を手を掛けて整え、ちゃんとした道具を使って、質のよい調味料で仕上げ、心から“ごちそうさまでした”が言える食で心身を満たすということ。
「生きるために食べるよりも、おいしいものを食べるために生きる!と考えた方が、人生は何倍も愉しくなるはずです。
その労を惜しまないことがきっと、人としても料理家としても、“立つ鳥跡を濁さず”につながっていくのよね」…と、明日の料理撮影のための器を吟味しながら、微笑んだ。
撮影/鍋島徳恭
※女性セブン2018年8月2日号
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