延命治療=悪ではない。大切なのはどう穏やかな最期を迎えるか
長寿大国ニッポンでは、“長く生きること”が尊いことだった。しかし今、“命を延ばすこと”の是非が問われている。めぐみ在宅クリニック院長小澤竹俊さんは、延命治療についてこう語る。
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いざという時を想定して、家族で話し合う
かつて、延命治療をするかどうかは医師が決めるのが当たり前でしたが、時代の流れと共に、最近は患者の意思を尊重することに重きが置かれるようになってきました。
大事なことは、延命治療をするか、しないか、ではありません。“誰が何を希望するか”ということです。「延命治療=悪」ではない。患者が希望しない延命治療はすべきではありませんが、希望すれば受けてもいいのです。
それをどう決めるか。普段からいざというときのことを想定して、家族で話し合うといいでしょう。なかなか切り出しにくい話ですから、芸能人が亡くなったときに「もし病気で食事を口からとれなくなったら、どんな医療を受けたい?」などと話題にするといいですね。
その際に、忘れないでほしいのが、“どうすれば穏やかでいられるか”という視点です。病院より自宅で過ごすほうが穏やかだという人もいれば、その逆もいます。
延命治療も同じです。人工呼吸器や人工栄養の治療を受けたほうが穏やかな人もいれば、受けないと決めたほうが穏やかでいられるかもしれない。自分や家族、それぞれの立場で、どうすれば穏やかな最期を迎えられるのかを考えましょう。自分だけが決めていても、周りに伝わっていなければ希望する最期は迎えられません。
たとえば、遠方で暮らす子供が、“最期に親孝行したい”と親本人が希望しない延命治療を望むケースは意外と多いです。こうしたケースは、残念ながら親にとっては“穏やか”でなく、子供のエゴといわざるをえないこともあります。
意思決定だけではなく、その意思をどう叶えるかが課題
医師や看護師の意見に流されず、家族や信頼できる人と話し合い、1回の話し合いで決めずにみんなで悩むこと。延命治療をするかどうかは結局どちらを選んでも後悔してしまうんです。
どうしたら後悔が少ない選択ができるか、それをみんなで考えてほしいですね。ただ、今の日本ではこうした「意思決定」ばかりが重要視され、決めた意思を誰が叶えてくれるか、ということに疑問が残ります。
延命治療を受けずに最期は自宅で迎えたいと決めたときに、ではそれを誰がサポートするのか。意思決定から、最期に向かうまで誠実にかかわることのできる、医療従事者を含めた人材がもっともっと地域に必要だと感じています。
「延命治療をしますか? しませんか?」という議論だけでは本当の意味での“穏やかな最期”には対応できません。
※女性セブン2018年5月3日号
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