メガシティ東京、60年の驚きの発展史が一目でわかる!
2020年、東京は2度目のオリンピックを迎える。東京を今のメガシティへと発展させたのは、54年前のオリンピックだった。首都大学東京の飯田橋キャパスで開催された講座「大都市東京の交通─10年後、20年後を見据えた交通のあり方を考える」で公開された図版は、東京のすさまじい発展の歴史を首都圏交通網と土地利用の変化からたどるものだった。その驚愕の変貌とは──
「交通」と「土地利用の変遷」から見る東京の60年
首都大学東京・都市環境学部教授の小根山裕之先生は言う。
「皆さんは毎日、職場に通ったり遊びに行ったりと活動していますよね。その活動と活動を結びつけるのが《交通》です。交通は、人間の欲求をかなえるために場と場をつなぐものです。そして《交通》は国土の骨格を形成するという一面も持っています。この大都市東京の活力の源を生み出してきたのも《交通》でした。
その東京都市圏における《交通》の発展と、土地利用の変遷を見ながら、1960年から現在までの東京を、一気に見てみましょう」 (データは国土数値情報を使用 http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/).
では、1960年から2015年までどういうふうに都市圏が変わってきたかを、見ていこう。ここでは、人口集中地区(Densely Inhabited District, DID)という指標を土地利用の実態を示すために用いた。これは、市町村の区域内で、人口密度が4000人/km2以上となる地区で、かつ隣接する地区との合計が5000人以上となる地区のこと。要するに人が大勢、密集して住んでいるところである。図中ではグレーで表示されている。これが広がっていけば、人口密集地も拡大していることになる。
1960年 首都圏の姿はこうだった
これは1960年の図。グレー部分がDIDである。そこを網の目のように巡らされている赤線が鉄道だ。太い赤線はJR(当時は「国鉄」)、細い赤線が私鉄。鉄道ネットワークは戦前から整備されていたが、それが東京の成長を下支えしたことがわかる。
東京や横浜、川崎などに細かく広がっている黄色い線は路面電車。首都圏の交通は路面電車が主力だったことがわかる。一方、道路網(図中青では青の部分)はまだ貧弱だった。道路網が発達し始めるのは東京オリンピック前後からだ。
当時は都市圏が半径約20㎞くらいの圏内に収まっていたことがわかる。たとえば小田急線のところを見てみると、今の登戸のあたりから先や千葉県全般はグレーにはなっていない。
1960-1965年 東京五輪を機に首都高・新幹線開業
1964年、東京オリンピックが開幕した。その直前から首都圏は大きく変わっていく。図中の黄色い面は5年間に拡大したDIDである.
図中の青線は高速道路を示す。オリンピック直前に首都高速道路が開通した。また、東海道新幹線(当時、東京ー新大阪間)も開業した(図中の太い黒赤線)。また、都内では地下鉄の整備も進んだ。私鉄沿線に市街地が急速に発展していく様子も見てとれる。
1965-1970年 中央道と東名高速開通
1967年に中央自動車道が、1969年に東名高速道路が開通する。首都高速道路も拡大するが、まだ都市間交通までには至っていない。
首都圏中心部の交通手段だった路面電車は徐々に減り始め、その役割は地下鉄が担っていく。
1970-1975年 都市圏が急速に拡大していく
1971年、多摩ニュータウンの入居が始まった。この頃から都市圏は急速に拡大していく。武蔵野線の開業は1973年。
1970年代前半には首都高速と東名が接続し、東北自動車道、関越自動車道、東関東自動車道が相次いで開通し、高速道路のネットワークが広がり始める。
1975-1980年 成田空港開業、湾岸エリア開発
1978年、成田国際空港が開港する。つくば研究学園都市の建設と機関移転が終了したのが1980年である。
この頃になると、東京の都市圏の拡大自体は今までほど顕著ではなくなってくるが、千葉など湾岸エリアの開発が進んでいくのがわかる。
1980-1985年 東北・上越新幹線開業
常磐自動車道が1981年に開通し、1985年にはつくば科学万博が開催される。東北・上越新幹線の開業は1982年。首都圏とその周辺部をつなぐ道路網・鉄道網は着実に整備されていく。
1985-1990年 首都圏周縁部の開発が進む
この頃になると、放射型高速道路がほぼできあがってくる。しかし環状道路はまだほとんどないことがわかる。環状道路がないため、多くの車は首都高を経由するしかなく、首都高がパンクするという状況が起きていた。
1990年に京王相模原線が全線開業し、首都圏周縁部の開発が進む。
1990-1995年 外環道開通
バブル崩壊のなか、1992年に東京外環自動車道が開通し、1994年には首都高速湾岸線が延伸した。
1995-2000年 東京湾アクアライン開業
1997年、東京湾横断道路である東京湾アクアラインが開業した(用いた地図の都合上,アクアラインは描かれていない)。この頃になると湾岸の開発もだいたい収束が見えて来た。
2000-2005年 つくばエクスプレス開業
埼玉スタジアムが2002年FIFAワールドカップ開催会場となったことから、埼玉高速鉄道が開業を早め、2001年に赤羽岩淵と浦和美園間で開業、南北線、東急目黒線との直通運転も始まった。2005年、秋葉原駅とつくば駅の間を最速45分で結ぶつくばエクスプレスが開業した。
2005-2010年 圏央道延伸
圏央道(首都圏中央連絡自動車道)が延伸し、2007年にようやく中央道と関越道が東京都心を経由することなく圏央道を通じてつながることとなる。
2015年 中央環状線が全線開通
2015年、首都高速中央環状線が全線開通した。ようやく都心の環状道路が出来たわけである。
ここでもう一度、1960年の図に戻ってみよう。
この60年足らずの首都圏の発展が改めてわかる。このようなデータを元にした考察が惜しげもなく披露される、それが大学の公開講座の醍醐味だ。
【あわせて読みたい】
京都猛反発を抑えるべく東京はなし崩し的に首都になった
ある感覚の欠如が40才からの会社人生を地獄化する
地震工学研究者「今や地震は忘れないうちにやってくる」
おねやま・ひろゆき 首都大学東京・都市環境学部教授
平成7年、東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修士課程修了、建設省土木研究所環境部交通環境研究室研究員、東京大学生産技術研究所助手、国土交通省国土技術政策総合研究所企画部課長補佐を経て、平成16年東京都立大学大学院工学研究科助教授、平成17年首都大学東京都市環境学部准教授、平成24年同教授。専門は交通工学、道路交通環境、交通計画。著書に『道路環境影響評価の技術手法』『「交通渋滞」徹底解剖』『都市の技術』など(いずれも共著)。博士(工学)。
◆取材講座:「江戸・東京の「まち」と「ひと」シリーズ~大都市東京の交通 10年後、20年後を見据えた交通のあり方を考える」(首都大学東京オープンユニバーシティ)
取材・文・写真/まなナビ編集室(土肥元子) 図版/小根山裕之氏提供
初出:まなナビ