倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.91「誰かに伝えないまま死ねない」
漫画家の倉田真由美さんは、夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)を自宅で看取った。最後まで自分らしく生きた夫の「幸せな死に方」について綴った新著『夫が『家で死ぬ』と決めた日 「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』を上梓した倉田さん。夫の闘病、そして看取りについて発信し続ける理由とは――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。最新著『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』。9月30日に「本屋 B&B」にて発売記念イベントを開催!https://bookandbeer.com/event/20250930_hed/
最初は隠し通していた夫の闘病
このコラムをまとめ、漫画などを新たに加筆した本が9月26日に発売されました。
介護ポストセブンで「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」をスタートしたのは、’24年1月のことでした。夫のすい臓がんが判明して余命宣告を受けたのは’22年の6月なので、告知からは随分時間が経ってからになります。
というのも、私は夫のがんが分かってから少なくとも一年ほどは、夫ががんであることを隠したいと思っていたから。夫は平気で周囲の人にも話していたので夫の友人や仕事関係者は皆知っていましたが、私はごく近しい人にしか伝えていませんでした。
夫はがんでもずっと元気だったから、日常が変わってしまうのが怖かったのが大きいです。ママ友やパパ友、仕事相手など周囲を取り巻く環境の変化を避けたくて、内緒にしていました。’23年初夏、夫が娘の運動会に行った時にママ友から「叶井さん、痩せたねえ」と少し心配そうに言われましたが、私は苦笑いでやり過ごしました。
気持ちが変わってきたのは、夫が『エンドロール!〜末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論〜』の出版で、すい臓がんであることを世間に向けて発表した’23年晩秋の頃です。反響は大きく、夫はしばらく取材依頼など受けて忙しそうでした。
こうなってしまうと、私も腹を括って「すい臓がんの夫の妻」という立場に慣れていくだけです。恐れていたような生活上の変化はなく、むしろ今まで話していなかった夫の闘病の様子について、人に伝えていきたい気持ちが高まっていきました。
リアルタイムで夫の姿を描くコラムとして始めた
抗がん剤、手術という標準治療を選ばなかった夫。
宣告された余命をとっくに過ぎても元気で、毎日会社に通い会いたい人に会い、好きなものを好きなように食べ好きな映画を観て好きな漫画や本を読んでいた夫。
最期まで家で過ごすと決めた夫。
夫の行動も言葉も考え方も感受性も面白くて日々感動や驚きがあって、真横で見てきた私は誰かに伝えないまま死ねないな、と思いました。日記とまではいきませんが夫に関する出来事の簡単なメモは残していたので、これを形にしていこうと考えるようになったのです。
このコラムも私から企画を持ち込み、そしてすぐに連載を決めていただきました。リアルタイムの夫を描くコラム、毎日いろんなことが起きるのでそれをそのまま伝えるコラムとして、夫の姿を描いていくつもりでした。
当時、夫はまだまだ死んだりしないと思っていたので、新しいエピソードも増えていくはずでした。
でも、連載がスタートして1か月ほどで、夫はいなくなってしまいました。
当初医師に言われた「悪ければ半年、どんなに長くても一年」の余命はとっくに超えていたし、世間から見れば「よく保ったほう」と思われるかもしれませんが、私にとっては急だったし早すぎました。だって、直前まで動けていたし普通に話せていたから。もっと身体も声も弱って、会話もままならず寝たきりになって、それからのことだと思っていたから、何も覚悟はできていませんでした。
夫がいなくなってしばらく茫然自失の日が続きましたが、それでも、伝えたいことがたくさんあったので、ここでそれを書かせていただきました。
夫のことを伝える役割は、私にしかできません。私ほど夫のことを知っている人間は、他にはいませんから。
この度、一冊の本となってまとめていただけて感無量です。夫がさらりと「よかったじゃん」と言っているのが聞こえるようです。
倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」を1話から読む
倉田真由美さんの連載が一冊の本になりました!『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』(9月26日発売)。お求めはお近くの書店まで。

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