高木ブー、多彩なスポーツ経験を告白「クレー射撃やボクシング、学生時代はフェンシングも」
「スポーツは、やるのは苦手だけど見るのは好き」という高木ブーさん。東京オリンピックでも、世界のトップ選手の技や日本人選手の活躍にテレビの前で拍手を送った。お話を伺ったのは、大会期間中の8月初め。とくに熱くなった競技や、ご自身の若かりし頃のスポーツ体験、そして前回の東京オリンピックの思い出を語ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)
オリンピック競技、世界最高レベルの戦いはすごい
このところ毎日、オリンピックのいろんな競技をテレビで楽しんでます。やっぱり世界最高レベルの戦いはすごいよね。「8時だョ!全員集合」の体操のコーナーで、仲本(工事)が前回りや後回りをやるのを見て「よくあんな動きができるなあ」って感心してたけど、オリンピックは感心どころじゃないもんね。いや、いっしょにしちゃいけないか。
世界中のトップアスリートが集まっている中で、日本選手が過去最高の数のメダルを獲得しているのはやっぱり嬉しい。どのメダルもすごいけど、見ていて力が入ったのはソフトボールの決勝戦だね。アメリカは強敵だったけど、ピッチャーの上野由岐子選手ががんばった。若い投手が台頭してきたことが、彼女にとって刺激になったんじゃないかな。
僕らの音楽やエンターテインメントの世界でも、若い人が次から次へとどんどん出てくる。そのことでベテランが刺激を受けて、「まだまだ負けちゃいられない」と張り切るってことはあるもんね。そういう意味で、通じるものを感じちゃった。上野選手とは倍どころじゃない年齢差があるから、これもいっしょにしちゃいけないかもしれないけど。
柔道も次々に金メダルが出てすごかった。やっぱり日本の「お家芸」だから、勝ってくれると嬉しいよね。最後の混合団体でフランスに負けちゃったのは悔しかったけど、3年後はパリ五輪だから敵地で雪辱を果たしてほしいな。
じつは、学生時代にフェンシングをやっていた
フェンシングは団体(男子エペ団体)で日本チームが金メダルを取った。じつを言うと僕も、学生時代にフェンシングをしたことがある。似合わないって言われそうだけど、大学の体育の授業で、楽そうなフェンシングを選んだんだよね。野球とかは人数も多くて厳しそうじゃない。その頃はウクレレ研究会の活動で忙しくて、ほかのことにエネルギーを費やす余裕はなかった。剣を持って足を開いて立つ姿がカッコいいしね。
試合はしなかったけど、剣の持ち方や立ち方は教えてもらった。僕が大学に通っていたのは昭和20年代の終わりごろだけど、当時はフェンシングを知っている人なんてほとんどいなかった。僕の姉の子どもがフェンシングの選手をやってて、サウスポーが持ち味でかなり強かったんだよね。それもあって、やってみようと思ったのかな。
あと、自分でやってたことがあるのは、ボクシングと射撃。ボクシングは高校時代に「強くなりたい」と思って、ちょっとのあいだジムに通ってた。何度か試合もしたことがあるけど、殴られると痛いんだよね。勝っていれば痛くないんだろうけど、負けてばっかりだったからなおさら痛かったな。殴られると鼻血が出てカッコ悪いし、指にもダメージがある。「もし指をケガしたらウクレレを弾けなくなる」と思って、早々に引退しました。
クレー射撃はドリフみんなで始めたんだけど、僕だけずっと続けた
クレー射撃はけっこうちゃんとやってた。もともと長さんに誘われてドリフのメンバー全員で始めたんだけど、みんなすぐやめちゃって僕だけ長く続いたんだよね。2年前まで「芸能文化人ガンクラブ」の会長もやってた。クレー射撃は「競技をする側の感覚」も少しはわかるんだけど、残念ながらテレビでほとんどやらないんだよね。
前回の東京オリンピックは1964(昭和39)年10月で、僕はその年の9月にザ・ドリフターズに入った。たぶん忙しかったのかな、前の東京オリンピックの記憶はほとんどないんだよね。開会式の入場行進で、日本選手団が真っ赤なブレザーと真っ白のパンツで入ってきた光景は覚えてる。日の丸の赤と白を表現したらしいけど。青空に映えてきれいだったな。
あとは、マラソンのゴールの場面。円谷幸吉選手がエチオピアのアベベ選手に続いて2位で国立競技場に帰ってきた。でも、最後の最後にイギリスの選手に抜かれて3位になっちゃたんだよね。もちろん3位の銅メダルも素晴らしい成績なんだけど、いっしょに見ていた家族と「あー、もうちょっとだったのにねー」って悔しがったのを覚えてる。
スポーツは見れば見るほど元気を与えてくれる。僕もオリンピック選手に負けないように、ウクレレで元気や癒しを届けていきたい。自分のペースを守りながら、長いレースをまだまだ走り続けます。
ブーさんからのひと言
「スポーツも音楽も、元気や癒しを与えてくれるよね。オリンピックでたくさんの元気をもらったので、僕もますます頑張ります」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月21日に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。