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「認知症でよかった」と介護家族が思えた2つの出来事

 東京―岩手と遠距離で、認知症の母の介護している工藤広伸さん。子宮頸がんを患った祖母や父の介護経験もある。

 家族の目線で”気づいた””学んだ”数々の介護心得をブログや書籍などで公開し、リアルな実体験が役に立つと評判だ。

 当サイトのシリーズ「息子の遠距離介護サバイバル術」でも、工藤さんの遠距離介護の知恵や心の持ち方などをアドバイスしてもらっている。

 今回は、認知症介護をしていてよかった思えたことについて。自身の介護を客観的に語る工藤さんならではの視点で、今までの経験を振り返り、印象に残ったエピソードを紹介してもらう。

 * * *

 認知症介護を経験した多くの人は、どんなに介護が大変だったとしても「家族が認知症でよかった」と思える瞬間があるようです。介護サイトを運営する株式会社ウェルクスの調査でも、認知症介護を面白い、楽しいと感じたことがある人が88パーセントもいたという結果もあります。

 今日は、わたしが6年近く認知症介護をしてきた中で、祖母や母が認知症でよかったと思えた2つのエピソードをご紹介します。

ずっと笑っていた祖母

 亡くなった認知症の祖母(当時89歳)は、子宮頸がんで余命半年という診断を受け、緩和ケア病棟のある病院に入院しました。

 入院から2か月が経ったある日の朝のことです、祖母は病院のベッドから落ち、大腿骨を骨折してしまったのです。

 祖母の主介護者であったわたしは、祖母の娘たちと連絡を取り合い「手術をしないと死期がさらに早まる」という医師の説明を伝えました。

 全身麻酔で手術を受け、祖母の大腿骨には長くて太いボルトが埋め込まれたので、手術後にベッド脇で祖母の様子を見ていたわたしは心配になって、こう聞きました。

「どこか痛むところはある?」

すると祖母は、

「どごもいだぐね(どこも痛くない)」

と言うのです。

 当時、介護初心者だったわたしには、祖母がなぜどこも痛くないというのか、最初は理解できませんでした。

 骨折の痛みに加え、子宮頸がんの痛みがあるはずなのに、いつも祖母は笑っているのです。

 後日、看護師さんから祖母のリハビリスケジュールの説明をされた時、祖母が痛くないと言う理由が分かりました。

「おばあさまはおそらく、リハビリの意味が理解できないと思われます」

「どういうことでしょうか?」

「おばあさまは認知症ですので、大腿骨骨折したこと自体を覚えていらっしゃいません。なので、なぜ自分がリハビリをしなければならないのか、理解できないのです」

 骨折したことを忘れてしまったお陰で、痛みにも気づかなくなったのか。

 あるラジオ番組で、「認知症の人は特別体力があるわけではなく、痛みや疲れが脳まで届かない」という話を聞きました。一方で、認知症の人は痛みがあっても、医師や介護者にうまく伝えられないという説もあります。

 祖母の場合も本当に痛みがなかったのか、はっきりしたことは分かりません。

 いずれにしても「足が痛い!」と何度も訴えることなく、苦しまず、最期までいつも穏やかに笑って過ごしてくれました。

 当時のわたしは、にこやかな祖母を見て安心して介護することができ、「認知症でよかったところも正直あるなぁ」と思えたのでした。

百貨店で尿失禁した母

「車椅子を持ってきましょうか!」

 百貨店の女子トイレ前の長椅子で、グッタリしている認知症の母を起こそうと奮闘するわたしの姿を見て、通りがかった女性が声をかけてくれました。

「いえ、大丈夫です。」

 母の体勢を入れ替えようとズボンを触ったところ、お尻のあたりが尿でじっとりと濡れていることに気づきました。

「百貨店には和式トイレしかなく、足が不自由でしゃがむことができなかったから、どうしようもなかった」と母。

 結局、ズボンの濡れた母をそのままおんぶし、エレベーターではなく人けのない裏の階段を降り、タクシー乗り場へと向かい、なんとか自宅まで戻りました。

 母は自宅に着いてからも歩くことができず、着替えのある寝室までフローリングの廊下をほふく前進していきました。

 尿で濡れたフローリングの床は、キラキラと光っています。その床を拭き、臭い消しスプレーをして、急いで尿で濡れたズボンや雑巾を洗濯…とわたしはバタバタ。

 しかし、母はその様子を不思議そうに見ていて、わたしがなぜ洗濯をしているのか理解していないようでした。

 百貨店で多くの人に「大丈夫ですか」と声をかけられたこと、自分が失禁してしまった恥ずかしさ、その状態で息子におんぶしてもらったこと、自宅のフローリングの床を尿で汚してしまったことなど、すべてを覚えていたら、母はショックで落ち込むと思います。

 しかし、不思議そうな表情の母は、その後テレビを見て何事もなかったかのように笑っていました。

 わたしはそんな母を見て「認知症でよかったのかも、余計な不安やショックな出来事まで消し去ってくれるから」と思ったのです。

「忘れることがいいときもある」

 わたしの介護生活の中でも、これらのエピソードは決して忘れることのできない大きなものです。しかし亡くなった祖母も母も、この出来事はすっかり忘れていました。

 大事なことを忘れてしまうのは、認知症の人にとっても介護しているご家族にとっても不幸なことなのかもしれません。しかし、覚えておく必要のない大きな不安や悩みをいつまでも抱えることなく、その瞬間を楽しんでいる認知症の人がうらやましいと思うことも正直あります。

 80代で肺がんで亡くなった叔母の言葉を、今でも忘れません。

「歳をとって、何でもかんでも覚えていることがいいわけではないのよ。忘れることがいいときもあるの」

 今日もしれっと、しれっと。

工藤広伸(くどうひろのぶ)

祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士、なないろのとびら診療所(岩手県盛岡市)地域医療推進室非常勤。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/

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