兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第83回 認知症街道爆走中!】
若年性認知症の兄の行動は、理解が難しく、イライラすることが多いツガエマナミコさん。“実は、『若年性認知症の兄との同居』を大袈裟に捉えすぎなのでは…“と思ってみたりするが、実際、兄の認知症の症状は進んでいる様子で、ツガエさんの生活に支障をきたすこともあり…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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兄と時計と時間
兄はいつの頃からか、スエットのポケットに腕時計を忍ばせて過ごしておりまして、テレビの合間にときどき取り出して見ております。勤めていた頃は必需品だったその腕時計は、重くてゴツイひと昔前の流行り物で、盤面はもちろんアナログの針。何を表しているのかわからない小さい計器がいくつも付いて、いかにもメカニックな印象のする男子が好きそうなソレでございます。
座っている間にしょっちゅうポケットから落ちて、床に小さな傷をいくつも付けてくれるのですが、認知症は時間の感覚がわからなくなると言われているので、時計を意識するのはいいことだなと思い、何も言わずにおりました。
しかしながら、兄との時間のやり取りは崩壊しております。最近は、Zoom取材が続き、兄に自分の部屋にこもっていてほしいとお願いすることが多くなりましたが、相変わらず「何時から?」「何時まで?」が何度も繰り返されてうんざりするありさまでございます。一度は、取材の途中で兄がリビングに出て来てしまい、いつもの椅子に座りだす始末…。テレビは点けずにいてくれましたが、椅子に座って何をするわけでもなく体を前後に揺らして、こちらを見る兄に気が散って仕方がありませんでした。
わたくしの部屋には窓がないのでZoom用に小さいライトは買ったのですが、自然光も入れたいな~と思ったのが仇(あだ)となりました。それ以降は密閉状態でZoomしているものの、ふすま一枚隔てたすぐそこに兄がじっとしていると思うとなんだか仕事がしにくいので、いつも自分の部屋にこもってもらうようにしております。
先日も、わたくしが「2時からお仕事でテレビ電話するから、1時間ぐらい自分のお部屋にこもっててくれるととっても嬉しいんだけど」と言うと、「はいよ。何時から?」と言ってくれたので「2時から3時ぐらいまで」と言ったところ、例の腕時計を出して「え~っと、何時から?」とまた聞き直すので「2時から。だからまだちょっと先だね」といったやり取りをしておりました。
でもなんとなくわかっていない様子だったので、「あれ?今何時だっけ」とさりげなく訊いてみると腕時計を見つめて無言の兄。「何時になってる?」と重ねて訊くと腕時計をこちらに向けて「こんな感じ」と言うので、これは時計が読めていないなと理解いたしました。
その後も「何時から?」「何時まで?」「だいたい何時間ぐらい?」を1~2分毎に連射。紙に書いて張り紙しても読んだりしないのです。すでに簡単な字も読めなさそうですし、もしかすると1時間がどれくらいの時間なのか、体感として忘れてしまっているのかもしれないと思いました。1時間は60分だと言い直してみたところで、どうにもならない時間の説明…。改めて難しいと思いました。
取材が終わるまでこもっていてくれると「あ~よかった」と安堵して、兄の部屋の扉をノックしながら「終わったよ~、ありがとね~」と心からの感謝を口にすることができます。思えばそれが兄に感謝できる唯一のことかもしれません。
兄と同じく認知症だった亡き母は、寝たきりになっても時計は読めました。育った時代が違うので一概には言えませんが、兄は母以上に認知症街道を爆走しているようです。
何時を示しているのかわからない腕時計を今日もポケットに忍ばせて、兄はテレビを観ながらうつらうつらし、ゴトンッ!と落として目覚めています。そうか、あれは目覚まし時計だったのか!?
できないこと、わからないことがどんどん増える兄と暮らすわたくしに、「介護者の接し方で認知症の進行度は変わる」という言葉が長く重くのしかかっております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ