兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第67回 今日もつれづれなるままに」
一緒に暮らす60代の兄は若年性認知症。その現実を受け入れ、日々サポートを続けるライターのツガエマナミコさんだが、毎日顔をつきあわせていると、実の兄だけがゆえに余計にイライラしたり、溜息がでたり…。その複雑な心境をありのままに綴ります。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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ベランダにスリッパで出る案件
デスクで仕事をしていると、目の端に気配がするので顔を向けると少し開けたふすまの間からニッコリ笑って手を振る兄と目が合ったりいたします。料理をしていても急に振り向いてニッコリされます。わたくしが買い物に出かければベランダで口笛を吹き、見上げると兄が手を振っている。帰ってくれば玄関のドアを開けて待っている…こんな状態を楽しく思えるのは、恋愛真っただ中のバカップルだけでございましょう。実の兄、しかも61歳の初老のおっさんがこの感じで同居しているのは決して小気味いいものではございません。監視されている感が半端なく、近頃ますます兄を見ないようになったツガエでございます。
あまり毛嫌いするのもかわいそうだと思うのですが、近親憎悪はいわば生理現象のようなものなのでいたし方ございません。
兄の身になって考えてみようと思っても、どうしてもわたくし自身のエゴが邪魔をいたします。例えば、「できていたことができなくなる、知っていたことがわからなくなるのは、計り知れない喪失感で、忘れる自分を許せずに激しく落ち込み、自己嫌悪するだろう」と推測する反面、「喪失感はあったものがなくなるから悲しいのであって、あったことごと忘れてしまうとしたら、何も失っていないのと同じなのだから、落ち込んだり自己嫌悪もないのではないか」とも思えてしまう。
脳内では、「どうせみんな忘れてしまうのだから、優しくしても冷たくしても一緒じゃないか」と笑うわたくしと、「それが兄の病気の進行を早めているのではないか」と分析するわたくしがいて、そこに割って入るように「わたくしにも楽しく生きる権利はある」と自分本位な奴も登場して収拾が付きません。
そんなツガエは、つい先日、若い身体障がい者の方を取材させていただきました。彼女は義足です。でも彼女に「人によると思いますけど、障がいを持つ当事者は、周りが思うほど障がいを重く考えていないこともあるんですよ」と言われて、心にふわっと風が吹きました。彼女の人柄のすばらしさにもハッとしましたが、瞬時に兄もそうであったらいいなと思ったのでございます。
兄は自分が認知症であることを自覚していますし、わたくしにこびへつらう態度から察するに、それを忘れたことはないと思います。でも、それほど深刻に考えていない可能性は大いにございます。確かめる術はございませんが、本当はすごく落ち込んでいるのに無理に明るく振る舞っているという悲壮感は見えません。それが演技だとしたら今すぐ劇団に放り込んでひと稼ぎしてもらいたいくらいです。
兄には思う存分のびのびとボケ続けていただきたいと思っております。ですが、どうしても見て見ぬ振りができないのが、スリッパでベランダに出てしまう案件でございます。
「スリッパで出ないでほしいんだけど」と注意するたびに「あれ?なんでかな…(スリッパの足元を見て)エへへ…」と言うものの、10分後にはまたやってしまうおとぼけ君です。何度言っても治らないので諦めてしばらくは黙認していたのですが、最近、1日に何十回もベランダとリビングを往復するので家の中の汚れが我慢できなくなりました。
「ねぇ、またスリッパのままじゃん。ベランダは外なのよ。わかる? 土足で家の中歩いてるようなものなの。スリッパで外に出ちゃダメでしょ。出るときはベランダのサンダルに履き替えてほしいの。たのんますよ」
「そうだね。うん、わかった。すんません」としょげる兄に溜息が出ました。
いったいわたくしは誰に向かって「スリッパで外に出ちゃダメでしょ」なんて小さな子供に言うようなことを懇々と説明しているのでございましょう。何とも言えない後味の悪さに後悔しきりでした。でも、結局数時間後には「スリッパでベランダ」の復活です。記憶してもらえないというのは、本当に厄介なものでございます。
つづく…(次回は11月19日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ