日本最高齢99歳の理事長がいる特養に密着|究極の老老介護を実践する“やすらぎの郷”の日常
究極の“老老介護”を実践する特別養護老人ホームが大分にあった!ニッポンを支える元気なシニアに密着しレポート、これからの高齢社会を考える。
もうすぐ100歳!日本最高齢現役理事長の素顔
「べつになぁんにもしとらんですよ。ただタバコは90歳になる前にやめたな」
健康、長生きの秘訣を尋ねると板井英夫さんはそう言って笑った。
大正9年生まれ、今年10月22日に100歳の誕生日を迎える板井さんは、社会福祉法人「親愛会」(大分県大分市)の現役理事長だ。
同法人が運営する特別養護老人ホーム「光明園」は海沿いを走る国道から山手に少し登った場所にある。豊後水道を望む自然豊かな環境だ。
取材に訪れた日はホームの運営について討議する評議員会が行なわれていた。
午前10時、「理事長、お時間です」と職員が声をかけると、「おぉ、もうそんな時間か」と腕時計に目をやり、施設の1階にある会議室へ向かう。歩く姿は腰も曲がっていないし、足取りもいたって軽やか。写真を撮ろうと追いつくのにこちらが難儀するほどだ。
評議員会の参加者13人は平均年齢70代半ばだという。板井理事長からすると全員年下だが、理事長自ら施設の運営状況などを丁寧に説明し、活発な意見交換がなされていた。
会が最も盛り上がったのは終盤に参加者が発したこの一言だった。
「理事長の100歳のお祝いば、せなならんな」
この声に続くように次々と「プレゼントは何がいい」「会場はどこにするか」などと盛り上がる。板井理事長は「そのお気持ちだけで結構ですよ」と笑って応えていた。
日々のレクリエーションにも頻繁に顔を出す
ホームの運営に携わるようになったのはもう40年以上も昔に遡る。
「57歳で大分県庁を退職したのですが、ちょうどその頃、当時の佐賀関町(現・大分市)が町立の老人ホーム開設計画を進めていた。ところが当時の町にはノウハウが乏しくてね。県庁時代に福祉関連を長くやって厚生省(当時)なんかにもツテの多い私に声がかかったわけです」
その後、当時全国でも珍しい町立民営の老人ホームを設立するため社会福祉法人の申請などに尽力。1981年、「光明園」を無事に開所させた。以来理事長として運営面に立ち回るだけでなく、日々のレクリエーションに頻繁に顔を出すなど様々な業務に携わっている。
昼食から施設に戻ると、玄関で「靴の履き脱ぎは椅子に座ってやると安全なんだけど、手間がかかるからね」と立ったまま慣れたように室内用の靴に履き替える。
休む間もなく、午後からはホームに併設されたデイサービスで行なわれるレクリエーション会場へ向かう。この日は画用紙で作った卓上魚釣りゲームだった。板井理事長は参加者を見渡し、手こずる女性利用者に近づく。
「こうすると上手に釣れますよ」
笑顔でアドバイスする姿は、理事長というよりよき先輩といった印象だ。80代の女性入居者はこう話す。
「年齢を聞いてびっくりしましたよ。私より一回りも先輩なんだもの。とてもそんなふうには見えません」
現在は月に数日こうして出勤し、職員や利用者たちと交流を持つ。ホームでの信頼は絶大だ。
年下の妻も自分がいる老人ホームで看取った
そんなパワフルな板井理事長だが、実は今年の4月に長年連れ添った妻(92)を亡くした。
「数年前から少しずつ介護が必要になり、自宅で私が介抱していたのだけど老老介護だから限界があってね。最後の1年はここ(光明園)で過ごした。だからいつも寄り添って見送ることができました」
この話をするときだけ、声の調子が少し下がっていた。
100歳を迎えるにあたって抱負は?
最後に100歳を迎えるにあたっての抱負を聞いた。
「団塊の世代が後期高齢者になる2025年は目と鼻の先、これから老人ホームの重要性は高まる一方です。そんな時代を乗り切るためにも、利用者さんに喜ばれる施設作りに励みたいと思っています」
日本最高齢、100歳を迎える理事長の活躍は続く。
【データ】
特別養護老人ホーム光明園
住所:大分県大分市大字志生木字西岡145-9
TEL:097-574-0634
施設概要:
ユニット型個室定員40人/
2人部屋5室定員10人
通いのデイサービス併設
撮影・取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動する介護ジャーナリスト。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都板橋区にあるグループホームにて月に2回のボランティア活動を行っている。
※週刊ポスト2020年10月9日号
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