兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第59回 非常ボタン」
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさん。病気のため会社勤めを辞め、ほぼ1日中家で過ごす兄だが、このところ、日常生活でできないことが増えてきたことが気になっている。毎朝淹れるコーヒーメーカーの使い方を忘れたり、ベランダの窓をうまく閉められなかったり…。このたびは、またビックリすることが起きてしまったという。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
やらかしてしまった兄…とその顛末
兄が隠居生活を始めてから1年以上が経ちました。いまの兄を見ていると、朝「行ってきます」と言って会社に出掛けていたのが何十年も昔のことのようでございます。
目立ってひどい変化はありませんが、いろいろなことが怪しくなっておりまして、じわじわと認知症が進んでいることは確実です。
そして先日また兄がやらかしてくださいました。
少し前、わたくしが鍵を忘れて締め出されたお話(第53回)をしましたが、その日も少し久しぶりに抜き打ちテストをしようと思い、買い物を終えて部屋番号と呼出ボタンを押し、兄がインターホンに出てくれるのを待っていました。すると、いきなり容赦ない爆音の警報が鳴りだしたのです。そうです、兄はインターホンの通話ボタンでも自動ドアの解除ボタンでもなく、「非常ボタン」を押したのです。
「うわっ、やってくれよったぁ!」と思い、すぐに抜き打ちテストを後悔しました。
管理人さんがお帰りになった無人の管理人室では赤いランプが点滅し、部屋番号が表示されているのが見えました。もちろんウチです。
「どうしたらいいんだろう」と思いながら階段を駆け上がって部屋の鍵を開けるとインターホンのそばでオロオロしている兄が見えました。部屋の警報音はすでに消えていて、静かなものでしたが、荷物を置いて階下に戻ると管理人室の中では絶好調で「ピーローピーロー」鳴り続けていて、1階の住民の方に申し訳なく思いました。でもこんな時の対処法は誰からも教わっていません。
マンション管理会社に連絡をすると音声ガイドが「本日の営業は終了しました」的なアナウンス。やむなく緊急時の番号にかけて「申し訳ありません。間違って非常ボタンを押してしまったのですが、警報は止められないのでしょうか?」と言うと、「警備会社のALSOKがそちらに向かっていると思いますので、それを待っていてください。それまで止められません」とのこと。
心配顔の兄に「ALSOKが来ちゃうって。それまで警報止まらないみたい」と言うと、「あ~、来ちゃうか」と申し訳なさそうにつぶやき、おもむろにベランダに出てALSOKを待ちわびる人になりました。
20分ほどで到着したALSOK隊員に、ことの事情を説明して平謝りだったのは言うまでもありません。それでも「本当に大丈夫ですか? 何でもないんですね?」とさわやかに念を押され、わたくしの背後に隠れていた兄も「すいません、気を付けます」と頭を下げました。
「一応このことは管理会社の方に報告させていただきますので」と言い残し、ALSOK隊員は帰っていきました。
兄には「ピンポン鳴ったら、まず通話。ココを押してね」と説明はしましたが、もう二度と抜き打ちテストはしないと誓いました。すでに兄は身についていた日常の基本も忘れてしまう局面に入っています。新たなことを覚えてもらおうと思ったわたくしがいけなかったのです。
もっともっと手がかかるようになることは承知しております。「認知症の本番はこれから」と覚悟もしております。でも食事や排せつにも手がかかるようになるまであとどのくらいなのか。
ちょっとの前の新聞で「アルツハイマー病の薬 治験へ」の見出しを発見しました。どうやらパーキンソン病などにも使われる薬に、認知症特有の脳の異常たんぱく質の蓄積を抑える効果があったらしく、これから1年ほどかけて安全性や進行抑制効果などを観察する治験に入るそうな。まぁ気の長い話です。
いまは進行抑制が目標でも、いつか飲めば治るような特効薬ができることを期待しています。わたくしが生きている間にはできないと思いますが…。
つづく…(次回は9月24日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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