「定年前うつ」を乗り切るために知っておくべきこと
人生で1度しかないこと。小中高への入学はたいてい1回だが、大学は2回以上行く人がいる。かつては就職も1度の人が多かったが今は多くの人が転職する。結婚だって何度もする人がいる。しかし定年だけはほとんどの人が人生に1度しか経験しない。人生の終盤に、初めて直面する定年。多くの人が不安に陥ると、桜美林大学大学院老年学研究科教授の杉澤秀博先生は言う。
定年は60代で初めて経験する人生1度きりのこと
「定年前うつ病」という言葉をご存じだろうか。とくに男性のホワイトカラーに多く発症するもので、定年を間近に控えてさまざまな心理的不安に駆られることから起こる。
「肩書を失った自分に価値はあるんだろか」
「年金で果たして暮らしていけるだろうか」
「毎日家にいて何をすればいいんだろう」
「仕事にも行かない自分を家族はどんな目でみるのだろうか」等々。
とくに企業のプレステージが自分のプレステージと直結している人は「仕事がなくなった後の自分」を想像できず、まだ定年にもなっていないのに先のことを考えて落ち込むケースが多いという。
杉澤先生は一言、「“定年”は“退職”と違って、60才とか65才になって初めて体験する、多くの人にとって人生で1回きりのことです。不安になるのは仕方ありません」と言う。
定年前にシフトチェンジに悩む人は恵まれている
「日本の会社員は仕事が人生の大部分を占めていて、私的な生活がほとんどありません。そういうなかで、自分から仕事をとったら何が残るだろうと思うのは当然のことです。普段からもう少し家庭生活や地域生活の比重が高ければ、リタイアを機にそちらにシフトしようかといったシフトチェンジが可能なのですが、多くの人が仕事一筋にやってきているから、今さら地域に入ろうにもどうしたらいいかわからない。
でも意外に、定年してしまったらしまったで、あっけらかんとその暮らしを楽しむ人が多いんですよ。だから定年前に落ち込むのは取り越し苦労の部分も多いと思います。
ただ、ひとつ申し上げておきたいのは、定年前に悩む人というのは、非常に恵まれている人なのだということです。経済的に豊かだからこそ定年を意識する。経済的に恵まれていなければ、定年など関係なくずっと働き続けなければならないんです」
定年まで働ける女性は意外なほど少ない
「以前、女性で定年を迎えた人の意識調査をしようと、対象者を探したことがありますが、企業で定年を迎えた人がほとんど見つかりませんでした。女性が定年まで勤めあげられた主な職種は2つ、教員と看護師です。これは女性が、普通の会社で結婚・出産を経験しながらキャリアを継続していくことがいかに困難であるかを示しています」
確かに、女性の非正規率は全女性就業者の58%にものぼっており、男性の非正規率22%の3倍近い。また問題なのはその中身だ。男性の非正規が10代と60代で高いのに対し、女性の非正規率は全年代で高くなっている。正規率が非正規率を上回っているのは20代から30代前半までだけ。育児、夫の転勤、介護といった問題が発生する年代になると非正規率が上回る。
「キャリアが継続しないともらえる年金も減ります。少子化を何とかストップしようとさまざまな施策がとられていますが、子育て期に社会の側がきちんとした子育て支援をすることでキャリアが継続されれば、女性の老後も充実するではないでしょうか」
定年後に家事をするのは男性の精神的健康によい?
「格差をつけることによってコントロールできる部分もあるんですね。正規なんだからがんばれ。女性より賃金が高いんだからがんばれ。そういうプッシュ要因にうまく利用されているんですよ」と語る杉澤先生に、“定年を迎えられる幸せな高齢者”が、定年後に身につけておいたほうがよいことについて聞いた。
「大事なことは、衣食住の基本的なことが自分でできること。自分で料理を作る。洗濯をする。ゴミ屋敷にならないように整理整頓する。男性も家事ができるようになりましょう。
興味深いことに、家事を男性高齢者がするのは精神的健康によいとされています。なぜでしょうか?周りがほめてくれるからです。一方、女性高齢者が家事をするのは精神的健康にあまりよくないといいます。それは義務的だからです。まったく同じ役割を担う場合でも、社会から評価されるかどうか、また、社会に強制されるのか自由意志でするのかで大きく変わってくるのです。あとは好奇心を持つことです。好奇心がないと出歩かなくなりますしね」
孤独死が当たり前の時代になる
最後に、“死”について聞いた。
「夫婦であっても最後は1人になりますが、孤独死をどうお考えになりますか」と。
「都市ほど老人は孤立化します。都市は、プライバシーにうるさくて、相互不干渉の場。そのおかげで第三者に注目されることなく出歩いたりできるのです。今はひとり暮らしが増えているのですから、ひとりで死ぬのは当たり前。困窮や病気で支援を求めているのに何の手も差し伸べられずに死んでいくというのは防がなければならないですが、人間、いつ、どこで、どのように死ぬか誰もわからないんです。孤独死を完全になくすことはできない。むやみに怖がらないことです」
取材・文/土肥元子(まなナビ編集室) 写真/(c)polkadot / fotolia
初出:まなナビ