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この記事へのみんなのコメント
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ジーマ
2018-07-15
我が家は伴侶に先立たれた80代の義父とともに自営業をしながら同居生活しております。 そして、我が家は、数年に渡り、隣の独居痴呆老人に迷惑をかけられています。 隣人には40代の息子二人と娘、いずれも高学歴、大手企業勤務、生活に困窮しているふしはありませんが、、、 最初の頃には迷惑行為が怒るたび、連絡をとり、「施設に入れる段取りをしています。」ということでしたが、もう5年以上状況は変わらず、 ○我が家の高齢の義父に突然怒号を浴びせ因縁をつけてくる。 ○商売上のお客様にも、怒鳴ったり、我が家が悪いと、無いこと無いこと叫ぶ。 ○我が家の生活動線に、数週間に渡りし尿を撒き散らす(防犯カメラに撮影して発覚) ○我が家の前に生ゴミをまきちらす。 警察の生活安全課、地域の介護施設、地域の駐在所。 たらい回しにされるままあらゆるところに相談をして、ご家族に連絡をとってもらっても、先程から、こちらの文書になあるように「しれっと」されています。 「地域のために皆さんご苦労さまです!!!」となぜか他人事で警察の方に挨拶も! 今朝も警察を呼びました。 警察からは「直接接見しないでください。何かされても、こちらからは絶対に手をださないでください!」と言われますが、 小柄な我が父が、自分よりガタイの大きな痴呆老人に詰め寄られているところを見ると、命の危険さえ感じています。 他人に迷惑かけること無く、生活されているのであれば、 人それぞれ、事情も配慮し、何も申し上げることはありませんが、 自分の親という自覚があり、周辺の家庭に迷惑をかけ始めたのであれば、 なにか手段を取るべきではないのでしょうか。 もしも、子供の頃など、何かの事情で、自分の親を親とも思えない感情があるのであれば、親を「捨てて」ください。そうしていただければ、こちらも、そのご家族に、 「何を言っても無駄」「死んでも放置。葬式も出す気は無い」と言っていただけたなら、我慢もできます。 盆暮れ正月、思い出したように、手土産持って半日、顔を見に来て親孝行してるという「しれっとした顔」をされた時、迷惑をかけられている側はどのように心を持っていけばよいか。。本当に泣きたい気分です。
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エイコ
2018-01-27
記事の内容は良かったのですが、毎回、しれっと しれっと をつけるのを止めて欲しいです。毎回同じフレーズを見せられるとイライラします。
最近のコメント
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加藤与施夫
2026-06-13
キューブラーロス女史による臨死体験を集めた本が話題になった事がありますが...いわゆる幽体離脱というお花畑や三途の川を認識する体験は...私には一度もありませんが...幽体離脱と思しき体験はあるのです…仰向けに寝ている時に起きた奇妙な錯覚かもしれないのですが...私の意識だけが空中浮遊して部屋の天井付近まで上昇してから..突然体に引き戻された不思議な錯覚は体験した事があるのです…この幽体離脱と思しき体験は...部屋が消灯している時に発生したので...周囲は真っ暗闇で何も見えませんでしたが...不思議な錯覚のような体験はあるのです…
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ちゃぼ
2026-06-11
パソコン操作を手伝ってもらったとき、自分ひとりでできる気がしないのは私もまったく同じです! でもスマホの操作ができない上司に代わりアプリを入れて操作してあげたとき、「自分じゃできないだろうな」と思ったこともあります。 きっとその税務署のお嬢さんも「一人じゃできないだろうな」と思いながら手伝ってくださったことでしょう。遠慮なく来年も手伝ってもらいましょう!
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gaku
2026-06-10
臨死体験談には、心肺が停止する前の現象と、心肺停止後の現象が混同して語られているようですが、厳密には心肺停止後に起きる現象ではないかと思います。特に幽体離脱は心肺が停止する前に体験する現象ではないかと思います。以前、NHKで人間の脳死に関する番組が放送されており、心肺が停止しても脳波により脳だけは数十分単位で活動を継続している事が推察されるようだとのことでした。その間に過去の人々との邂逅、トンネル、光、お花畑、幸福感など臨死体験で語られている現象が起きているのではないかと解説されていました。 私は、随分前に立花隆著の「臨死体験を」読んだことがあり、それ以後、臨死体験には関心を持っていましたが、NHKの番組を切っ掛けに専門分野ではありませんが自分なりに思索してみました。人間は心肺停止後、脳の機能が失われていく段階で、近々の新しい記憶から随時過去の古い記憶に向かって失われていき、生まれた時の記憶に至り、生まれた時の光と産道のトンネル、そして母親の胎内における幸せ感あるいは安堵感など、併せて三途の川、お花畑などの受精してから10カ月間にの記憶を辿り、生命が尽きるのではないかと思います。生まれる前の胎児は既に目を開いているそうですから、母親の胎内で、羊水の中から母親の薄くなった皮膚を通して外の光を感じ、その光が羊水の濃淡などで三途の川やお花畑に見えているのではないかと想像します、またお腹の外から入ってくる人の音声も感じ取っていたかも知れません。この説に対して、心肺停止から息を吹き返した人の臨死体験で語られる記憶は既に破壊し失われれていて整合性が取れないのではないかという考えもあるようですが、脳内の記憶を司る海馬の作用で過去の記憶に遡ると解釈すると、記憶自体は失わていない段階で生き返れば整合性が取れるのではないかと想像します。もし臨死体験がこのようであると、人の一生は、母親の中で過ごした10カ月の記憶を辿り、受精の時点まで遡って終わるのではないかと思われ、そうと仮定しますと、これまでの宗教観は変化を求めれれ、また臓器移植で心肺停止後に体内から臓器を取り出すタイミングにも変更を求められるのではないかと思います。臨死体験という現象は、オカルトとして放置されるべきでなく、早急に解明する必要があるのではないでしょうか。
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