認知症の母が息子に敬語を使う理由「母なりの処世術なのかも?」親子の距離感と介護の関連性を考察
遠距離介護のエキスパート・工藤広伸さんの母親は認知症を発症して14年目。徐々に症状が進行していく中で、会話に「敬語」混じるようになり、「お父さん」と呼ばれる日も…。息子としては心中複雑だが、母が敬語を使う理由をよくよく考えてみると、新たな仮説に思い至り――。
執筆/工藤広伸(くどうひろのぶ)
介護作家・ブロガー/2012年から岩手にいる認知症で難病の母(83才・要介護4)を、東京から通いで遠距離在宅介護中。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護して看取る。介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。最新著『工藤さんが教える 遠距離介護73のヒント』。ブログ『40歳からの遠距離介護』https://40kaigo.net/ Voicyパーソナリティ『ちょっと気になる?介護のラジオ』https://voicy.jp/channel/1442
母が息子に「敬語」でしゃべり始めた
母が息子であるわたしに敬語を使い始めたのは、2023年ごろからです。
ある日、東京にいたわたしは、岩手の実家の玄関に設置した見守りカメラで、デイサービスの迎えを待つ母を見つけました。ところが迎えが来るのは、2時間も先。いくら何でも早過ぎると思い、すぐに母へ電話をかけました。
わたし:「もしもし。デイの迎えが来るまで2時間もあるから、居間でテレビでも見て待ってて」
母:「はい、そうですか。分かりました」
親子なのに、ずいぶんと他人行儀な敬語を使う母。いつもなら「会社はどうしたの」と聞いてくるのに、この日は聞かれませんでした。ひょっとして、息子からの電話だと気づいていないかもしれないと思い、こう伝えました。
わたし:「あなたの息子ですよ。わかる? 居間でテレビ見て待ってて」
これでいつもの口調に戻るだろうと思ったのですが、母の返事はこうでした。
母:「はい、わかりました。失礼します(ガチャ)」
話の途中で、いきなり電話は切れました。敬語で話す母に、親子の距離と認知症の進行を同時に感じた瞬間でした。
それから3年が経ち、母が敬語を使う場面は増えています。それだけ、わたしを息子だと認識できなくなっているからだと思います。
「お父さん」と呼ばれる日も…
最近、母はわたしを「お父さん」と呼ぶようになりました。先日、朝のトイレで母の紙パンツを交換していたとき、こう言われました。
母:「お父さんは、何でもできてすごいですね」
わたし:「違うって。あなたが産んだ息子。あなたのお父さんはもう死んでるの」
母:「あら、そうなんですか」
母が朝に敬語になりやすいのは、目覚めた直後は頭がぼんやりして、自分がどこにいるのか、今日はどんな予定があるのか、目の前にいるのは誰なのか、分からないせいだと思っています。
昼に近づくにつれ、母の口調はふだん通りに戻っていきます。わたしが敬語を使わずに話し続けるうちに、自分の息子だと気づくのでしょう。ただ、昼寝をすると、せっかく気づいてくれたのにまた忘れてしまい、敬語に戻る日もあります。
母がわたしを「お父さん」と呼ぶ理由は分かりませんし、子どもの頃、自分の父に敬語を使っていたのかもしれません。認知症介護をしているほかの介護者のかたからも、娘なのに母親から「お母さん」と呼ばれると何度か聞いたことがあります。
いずれにしても、母にとって目の前にいる息子がお父さんか知らない人だとしたら、敬語で話すのも納得がいきます。
敬語を駆使して生活を続ける母「人間の能力はすごい」
母は週6日、デイサービスに通っています。3か所のデイを使い分けていて、多くの介護スタッフさんのお世話になりながら、ほかの利用者さんと一緒に過ごしていますが、母はその状況を理解していません。
知らないスタッフさんが自宅に迎えに来て、知らない場所へ連れて行かれ、知らない利用者さんと話したり、食事をしたりする。おそらく母は、こんな感覚の中で1日を過ごしているのだと思います。
相手の名前や立場が分からなくても、失礼に当たらない話し方を母なりに探した結果が敬語だったのではないか。そう思い至ったわけです。
皆さんも、見知らぬ場所に突然放り込まれたら、きっと敬語を使うはずです。相手の名前も立場も年齢も分からなければ、まずは敬語で話し、情報を集めながら少しずつ距離を縮めていく。介護にかぎらず、日常でもよくあります。
重度の認知症になっても、母は敬語という処世術を記憶の奥から引き出して、使いこなしている。もしそうだとしたら、人間の能力は本当にすごいと思います。
さらに、単語が全く出てこないときに「あれ」「それ」「これ」をくり返して、なんとか会話を続けようとする母の姿も、知らない人への気遣いに見えてきました。相手に失礼のないよう、母なりに頑張っているのでしょう。
母は昔から気遣いができる人で、気を回しすぎではと感じるほどでした。だからこそ、認知症が進行した今、母が使う敬語や「あれ」「それ」も、残された能力でできる精いっぱいの気遣いなのではと思うようになりました。
自分のことも忘れてしまうのか?
わたしを忘れる日は近いと覚悟しながら、介護を続けています。それでも、発症から14年近く経った今も、母は息子だと気づいてくれます。それだけで、ありがたいと思っています。
敬語で話す母の姿に最初は驚きましたが、今ではだいぶ慣れてきました。いずれ、母の言葉がすべて敬語になる日が来るかもしれませんが、そのほうがいいと思うところもあります。
親子の距離が近いほど、認知症で変わっていく親の姿に戸惑い、落ち込みがちです。わたしは、そういう介護者をたくさん見てきました。
敬語のほうが程より距離が生まれるし、介護者として冷静さを保てる気がします。感情的になる機会が減れば、自然とケンカも減り、結果として介護がラクになると思います。
今日もしれっと、しれっと。
