兄がボケました~認知症と介護と老後と「第75回 叔母が兄に会いに来ました」
ライターのツガエマナミコさんの兄は、50代で若年性認知症を発症し、67才の今は、特別養護老人ホームで暮らしています。父母亡き後、二人きりの家族となった兄の介護を担うマナミコさんが、日々起こるあれこれを綴る日常エッセイ。今回は、親戚が兄の面会に訪れたときのエピソードです。
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7~8年ぶりの再会
GW初日の朝、86歳の叔母から電話がありました。(この叔母は、前回ゴミ屋敷の叔母とは別の叔母でございます)
「お宅のお兄ちゃんのお顔を見に行きたいんだけど、マナミコちゃん次はいつお兄ちゃんのところに行くの?」と言うので、「今週も行きますよ」と答えると、「そう、じゃ一緒に行ってもいいかしら?」「もちろん!」ということになりました。
ところがその数時間後、叔母と同居している娘(わたくしにとっては従妹)から電話がありました。「うちの母が、面会に行きたいって電話しましたか?」と言うので「うん」というと、「あのね、お姉ちゃん…」と急に声が低くなりました。
従妹の話では、さすがにもう体力的に電車移動は無理とのこと。でもわたくしは、叔母が「行きたい、行ける」と思ったタイミングを逃してはいけないような気がして、「わたしがお宅まで迎えに行って、帰りも送り届けるから。それでもダメ?」と食い下がりました。
というのも、叔母がずっと前から「お兄ちゃんのところになかなか行けなくてごめんね」と言ってくれていたからです。この2月には、一緒に司法書士の事務所まで行ったばかりですし、杖を突いてはいましたが、自分が付き添えばと行けると思いました。なんなら帰りは何万円かかってもタクシーに乗って帰ってくればいいとさえ考えていたのです。
その夜、改めて叔母に電話をすると、従妹も家にいてスピーカーホンによる3人の会話となりました。面会に来てもらっても兄は誰だかわからない状態であることや、ムッとしているかもしれず、逆に会ってガッカリするかもしれないことなど伝えましたが、叔母は「ガッカリなんかしないわよ」と引きさがりません。難色を示していた従妹も「じゃ、わかった。兄貴が車出してくれるか聞いてみるわ」と折衷案を出してくれました。
従妹の言う兄貴は、叔母の息子であり、わたくしにとっては従弟。彼には家族がいるのでGWに車を出してもらうのは心苦しいお願いだったのですが、快く引き受けてくれて無事に面会の運びとなりました。
暑くもなく寒くもない絶好の日和に、叔母と従弟が兄の施設に来てくれました。おやつを食べ終えたばかりで眠そうな兄に、叔母がゆっくりとした優しい声で話かけると兄がニコニコしたので、叔母はますます声を優しくして「まぁ、よかったわ。いいお顔しているわね」と言って、兄のベッドにくっついてずっと笑顔で話しかけてくれました。運転手をしてくれた従弟が「兄さん、ぼくです」と控えめに話しかけると、兄は声のする方をぐっと見上げて、珍しいものを見るように凝視。しばらくするとニコッとし、いつものように全力で手を叩いて歓迎してくれました。
兄が二人と対面したのはおそらく7~8年振り。頭では誰だかわからなくても馴染みのあるなしは肌で感じ取るのかもしれないと思いました。
それにしても自家用車はありがたいものでございますね。電車移動では叔母にかなりの無理を強いたことでしょう。「自分が付き添えば大丈夫」というのはわたくしの傲り。従妹が心配したのは無理をした叔母のその後のことだったに違いありません。毎日叔母と一緒にいる彼女の判断は正しかったと反省し、今後はお姉さん風を吹かせないように気を付けたいと思いました。
叔母が帰りの車の中で「ごめんなさいね、みんなに迷惑かけて…。でもお兄ちゃんのお顔が見れてよかったわ。ありがとう」と言ってくれたことがすべてを象徴しているように思いました。
叔母に限らず、歳を取ると残り少ない人生に心残りがないようにと思うものでございます。でも「危ないから」とか「もう体力ないんだから」と行動を制限されることが増えていくのでございましょう。わたくしもアラウンド高齢者。心残りをすべてクリアするのは難しいけれど、できることは早め早めにクリアしなければいけないなぁと、叔母を見て学んだ次第でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性63才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現67才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ
