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この記事へのみんなのコメント
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愛知の女
2026-02-17
私の母も昨年初夏に膵臓癌が見つかり、その年の秋には75歳で亡くなってしまいました。このコラムを読むのに随分時間がかかりました。我が母とだぶることが多くて。必死だった去年よりも、少し時間の経った今の方が振り返る事か多く、色々考えると本当に辛いです。 母は胸膜への転移もあり、あっという間にベッドで管だらけになってしまいました。 いつか親の面倒をみるつもりで、7年前に介護福祉士になった私が、母の緩和ケアと介護を退院後自宅でしようと思っていましたが、母は病院のソーシャルワーカーには痛みや苦しみなどにすぐ対応してもらえるとこがいいと希望し、ナーシングホームに入りました。 母は病気になった事を周りに知らせず、全て終わったら知らせて欲しいと、仲良しのご近所さん二人と家族以外はお見舞いもお断りしていました。 あと、苦労させられた夫と一族と死後も一緒の墓には絶対に入りたくないと、生前から強く希望していたので、意識のあるうちに景色のキレイな山に樹木葬を探して来ました。母は「嬉しい」と契約書に何とか自力でサインをしました。 その後、私の腕を掴んで「もういってもいいら?」と、より強い緩和を希望してきました。翌日、大好きな孫息子のお見舞いで手を握って貰ってお別れした1時間後、旅立ちました。 平均寿命にはあと10年程あるから、少し早いかな。私もこんなに早く母の介護をするつもりではなかった。もっとゆっくり介護させてほしかったけど、長く病んで苦しいより、駆け抜けてしまって良かったのかな?とも思います。我が母は死ぬ準備が色々してありました。が、流石にこんなに早くにおわりが訪れるとは思ってなかったようで、あと10年分の新品の日記手帳など色々買い置きも準備してありました。 部屋の片付けはなかなか進みません。すぐに手が止まって思いを馳せてしまいます。手に取った物が、ただの物にもう少し思える様になるには、まだ時間が必要のようです。ずっとそばにいたので、沢山話たり触れたり出来て良かった。施設のナース、スタッフ、訪問診療ドクターには本当に感謝です。1人で抱えていたのを一緒に考えたり悩んだりして、一緒に看取りケアして下さった。共有してくれる人がいたということが本当に心強かったです。母とのコミュニケーションに集中出来て良かったです。
最近のコメント
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ララガール
2026-10-15
施設で感染者が出たということでしたが、お兄さまも罹られたんですね。私も延命治療はしないと決めていますが、やはり家族になるとどうなのかしら・・・と考えています。若いうちや頭ははっきりしているうちに本人の希望を聞いておけばよかったのですが、認知症になっていたりや寿命にどんどん近づいている超高齢者だとなかなかいまさら聞けないのがもどかしいです。 終活としてしっかり残された家族が悩まぬように書き記しておければと思っています。 お兄さまの早いご回復をお祈りするとともに、ツガエさんの健康と再会の日を願っております。
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Cham
2026-10-15
私の夫も若年者認知症で施設に入所している時にコロナに感染し入院しました。コロナ自体は直ぐに治癒したのですが、病院に空きベッドが無く感染症病棟に4週間入院する事になってしまい面会も出来ませんでした。その間に認知症が悪化してしまい歩けない食べれないになってしまいました。元の施設に戻る事も出来なくなり療養病床の有る病院へ転院しました。 元気だった頃の夫の希望通り胃瘻は拒否して中心静脈栄養で過ごしていましたが、その部位で感染してしまい抜去しました。いよいよ胃瘻を造るしか無いと検討していた矢先に突然亡くなってしまいました。 あの時コロナにさへ感染しなければ・・・。 とうか、お兄様は無事に治癒されてお変わり無く元の施設に戻られます様に祈っております。
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ゆうちゃん
2026-10-15
わが家は67才の兄と63才の妹(私)の兄妹2人です。 兄は約2年前に脳出血で倒れ、今も意識は戻らず施設に入所しています。私の兄は誤嚥性肺炎で夏に1ヶ月入院しました。 お医者に重症の肺炎と言われて落ち込み、これでお兄ちゃんとお別れなのかととても不安でした。でも幸いに軽快して施設に戻れました。 マナミコさん兄妹とは年齢が同じで、お兄ちゃんを心配したり不安になったりする気持ちがまるで自分のようだと感じます。 早く退院できますように。
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