「80代男性、晩年の3年間で家族の絆を取り戻した」実例に学ぶ補聴器の選び方【専門家が教える難聴対策Vol.10】
認定補聴器技能者で補聴器専門店の代表を務める田中智子さんのもとには、「聞こえにくい」ことに悩むさまざまなお客さまが訪れる。「補聴器と出会えたことで晩年の人生が変わった」。そんな体験をされた男性(85才)とそのご家族の実話をもとに、難聴対策の重要性について考えてみよう。
教えてくれた人
認定補聴器技能者・田中智子さん
うぐいす補聴器代表。大手補聴器メーカー在籍中に経営学修士(MBA) を取得。訪問診療を行うクリニックの事務長を務めた後、主要メーカーの補聴器を試せる補聴器専門店・うぐいす補聴器を開業。講演会や執筆なども手がける。https://uguisu.co.jp/
大切なことを「音」とともに忘れてしまう…
これまで聞こえにくかったかたが補聴器と出会ったことで変化していく様子をたくさん見てきました。好きだったこと、家族や友人など大切な人たちとの絆――。自分にとって本当は大切だったはずのことが、いつしか音とともに忘れてしまう。聞こえるようになることで、そんな人生の忘れ物を取り戻すことができた、あるご家族のエピソードをご紹介します。
実例「80代の父親との会話に疲れた」
「いくつか補聴器は持っているんですけど、なかなか使いこなせなくて、そのうち使わなくなってしまって…。最近は会話するときには、食品ラップの芯を耳にあてて大声で話すと、やっとひと言、ふた言が通じる状態でほとほと困り果てています」
お父様と同居されている息子さんからご連絡をいただきました。お父様は脚も悪く、耳鼻科への通院や来店が難しいとのことで、ご自宅に訪問させていただくことなりました。
お約束した日に伺ってみると、ご自宅には0才と2才のお子さんのいる息子さん一家と、ご両親が同居するにぎやかな2世帯住宅です。
部屋の奥のソファーに腰掛けたお父様は、にこやかな好々爺。明るくておしゃべり好きな奥さまとは対照的に、お父様は物静かなご様子です。
「ニコニコしてはいるけど、実は父は孫の声も車の音もほとんど聞こえていないと思います。今日は機嫌が良さそうですが、いつもボーッとした表情で、たまに近所を散歩していると、ご近所さんに『お父さん、少し認知症が心配』なんて言われることもあって、最近は散歩もおちおち危なくてさせられないんです」
補聴器の「イヤーモールド」とは?
改めて息子さんからお話を伺うと難聴はかなり深刻なご様子。これまでに使いこなせなかった補聴器のことや、ご家族やご本人のご要望を確認したうえで、いまの生活に合った補聴器をじっくり考えて選んでいきました。
一般的な補聴器は、本体から耳の穴に入れる先のパーツが2種類あります。お椀のような形をしたものをドーム型、ご本人の耳の形にあわせてオーダーメイドで作るものを「イヤーモールド」と呼びます。
お父様の場合、以前はドーム型を使用していて、耳の穴の収まりが気になってすぐに取ってしまっていたとのことだったので、耳穴にぴったりフィットするイヤーモールドを作り、お試し期間と調整期間を経て購入していただくことになりました。
落ち葉を踏む音、水の音を感じ、世界が豊かに
しばらくしてご自宅に伺うと息子さんから、
「耳穴の型を取って作ったオーダーメイドなのでしっかりと耳に入るのがいい。これまでの補聴器で何度も経験したハウリングもなくなったし、この新しい補聴器を使い始めてからは、大声でケンカしているように話すこともなくなり家族の負担も激減しました。
父親の表情も明るくなり、積極的に会話をするようになったんですよ」と、嬉しいご報告をいただきました。
さらに補聴器をつけて1か月ほどした頃にご自宅に伺うと、初日にはほぼお話していただけなかったお父様から、
「散歩のときに落ち葉を踏む音がしたよ」とか、「トイレに入ると水の音がうるさいね」などと、たくさんの感想を聞かせていただけるようになりました。
また、補聴器をつけて散歩に出かけようとされるお父様に、後ろから息子さんが「携帯持った?」と声をかけると、今までだと後ろから声をかけても聞こえているのかどうかわからなかったのに、最近はポンポンとポケットのあたりをたたいて、「持ったよ」と手を振って合図をしてくれたんだそう。
日常生活の中での何気ない親子の温かい関係性を感じられる微笑ましいエピソードも教えてくださいました。
人生の忘れ物を取り戻した最期の3年間
その後も調整を繰り返し購入から2か月後には調整が落ち着いたので、その後は半年ごとにお会いして補聴器の点検に伺っていました。しかし、あるとき体調を崩されて病院に入院されました。
入院中も息子さんを通してご様子を伺ったところ、補聴器を毎日使っていただいており、病院の先生や看護士さんとの意思疎通もできているとのことでした。そんな矢先のこと、半年点検の連絡を差し上げたところ、つい先日ご逝去されたとの突然のお話に驚きました。
振り返れば、当社で補聴器を購入していただいたのは3年前のこと。人生の最期の3年間は短いかもしれませんが、ご本人にとっては、家族とたくさん会話しながら過ごすことのできた、人生の中でも貴重な3年間だったのではないでしょうか。
「生前は大変お世話になりました。父の形見としてイヤーモールドを大切に保管しております。時折、耳穴の形を眺めては、父の姿を思い出しています。良く聞こえるようになり、父との会話が増えたことが、とても嬉しかったです。心から感謝しております」
そんなお礼の言葉をいただきました。
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聞こえづらいまま毎日を過ごすのは、もったいないと思いませんか? 残された大切な時間は、家族や周りの人と楽しい会話をして欲しいと願っています。
★うぐいす智子先生のワインポイントアドバイス!
聞こえるようになることで、家族との絆が深まり豊かな人生へ
取材・文/立花加久 イラスト/奥川りな