親の介護を施設に任せるのはアリ?ナシ?|「どこか施設に入って」YOU発言に寄せられたコメント
介護ポストセブンで『親の介護でYOUの発言が話題!「どこか施設に入って」に学ぶこと』が2017年5月5日に掲載された。記事がアップされてから、2年が経過した今も、コメントが増え続けている。
記事の主な内容は、YOUがある雑誌の対談ページで自身の老後について不安を吐露し、両親には施設に頼ることをすでに話しているというもの。
《幸せなまま放っておけるのならいいけど、なかなかそうはいかない。「私は見られないから、どこか施設に入ってもらうよ」とは、もう話してるんです》
と、YOUは語っている。介護のプロに任せることについて、介護の専門家の意見を交えて紹介した。
記事中で、介護に詳しいケアタウン総合研究所の高室成幸さんは、
「自分で親を介護しなければという気持ちは立派です。しかし、ストレスを抱え込んで仕事との両立ができなくなり、離職をして介護専業を選ぶ人がいます。そうすると社会との接点がなくなり、今度は24時間介護に没頭するストレスに押しつぶされる悪循環に。介護によって経済的にも、精神的にも肉体的にも追い込まれてしまうことになります。だから、YOUさんのような発言はある意味当然のことともいえます」
と、述べていた。
これまでたくさんのコメントが寄せられ、賛成、反対などさまざまなものが並んでいる。介護中の人も多く、実体験に基づくコメントも多い。スムーズにいかないのが介護の悩みでもある。そこで、ここでは、さまざまなご意見を紹介していきたい。
※記事中のコメントは抜粋、表記は原文ママで掲載しています。一部、明らかな誤字、読みづらい箇所は修正しました。
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どちらの気持ちもわかるからこそ…
『在宅介護を選ぶかたもいます。ご両親やご自身の今後の生活に目処がつく方は離職してしっかり介護をする道もあるのでしょう。しかし核家族の多い時代大半はそれぞれの家庭を守るためで精一杯なんじゃないでしょうか?実親を捨てるわけではないのです。より安心、安全に皆が無理せず笑って暮らす事が大事なのです。親の老いゆくのを見るのは本当にかなしいです。でも親も子がすごく難儀する姿を見たら私たちよりもっと悲しい思いをするのではないでしょうか?」(ころんさん)
『なにが良い悪いではありませんが、人は「死に様が生き様」とも聞きます。人生100年時代の昨今は、介護の状態になったときにそれまでの生き様が出るような気がします。』(ようちんさん)
『リフォームに迫られた事情もあり、父を騙すように老人ホームに連れて行き1年が経ちます。母が亡くなり要介護2となった父。頑固で扱いが難しい父に振り回される生活。主人や子どもに相談しても、どこか他人事。一人っ子の私の決断は冷たいものだったのか。最期は自宅。確かに気持ちは分かるけど、60歳を過ぎた娘夫婦の老後の楽しみをいつまで先延ばしとすべきか。親の最期まで付き合わない娘は人間として、間違いなのでしょうか。色々な親子関係はありますが、基本的に親は子に責任はあっても、子は親に責任はないのでは。』(おばちゃんさん)
実際に介護を経験している方からのコメントも
『介護は、綺麗事は言っていられない。いくら肉親であっても、時には嫌悪感や、憎しみに近い気持ちにもなる。それを、批判するのは経験のない人かもしれない、、誰でも、当事者の立場に立たされて初めてわかると親をみているものとしての気持ちです。』(メイさん)
『私は施設、自宅両方24時間介護体験しました。結果、24時間施設は、親の心身には良くないとの判断に至りました。施設が良いとか悪いとかの議論の前に、良くなって欲しい場合、それはずっと施設では望めない事が実体験で判りました。家族が手を入れてあげる意味は、表情、健康状態、改善度合いなど施設にお願いしていた場合だけの時と違い目に見えて良くなった実体験から理解しました。』(元気になってもらいたいさん)
『父の介護してたけど、家で介護するのはかなり大変だった。自分の精神がすり減るし、小さな事でイライラしてくる。任せられる事は専門家に任せた方がいい場合も多々ある。父も施設や病院にいたけど、ちゃんと顔を見せに行く事が出来るなら、それも良いと思う。正直、家にいるより誰かの目が常にある施設や病院にいてくれた方がこっちも安心する』(きなこもちさん)
『要介護3車いす認知症の実母(80)を在宅介護をしています。食事とトイレと通院に追われる日々です。ケアマネさん、デイサービス、ヘルパーさんや家族、地域の方々に助けてもらい5年の月日が経ちました。在宅によって家族の在り方と人間らしさを感じてます。そんなに苦じゃないです。でも旦那と中高生の子供たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。さて、、「家を建てるのはプロですよね?」の記述、リフォームやDIYって今流行ってますよね?自分で出来ることは挑戦してみて、難しかったらプロにお願いすればいいのでは?最初っからプロ!!発言は私にはナシです。全てプロに任せても別に構いませんが、公言することではないです。自分が年取って、こんな事を子供に言われたら悲しい。』(よんよんさん)
育児との比較も…
『なぜ「介護」ばかりを特別扱いするのですか?この記事の「介護」を全て「育児」に置き換えて読み直してみて下さい。世の中の親は、最初はみんな素人です。その「素人」が当たり前のように24・365で「育児」をしているんです。「育児」の為に家庭に入る人もいれば、育児ノイローゼになる人だっている。一体、何が違うんですか。「プロに任せれば良い・施設に入れれば良い」じゃあ、皆さんご自分のお子さんをそのようにしますか?「意思疎通が上手く出来ない」「言う事を聞いてくれない」それは、子供もお年を召した方も同じでは有りませんか?「子供」も「老人」も、等しく「人権」は有るんです。私は、育児も介護も両方経験致しました。「介護」とは、親に色々我儘を言い、迷惑を掛けながら育てて貰った分、今度は自分が親の我儘を聞き、最後の親子関係を作る場だと思います。「育児」も「介護」も、根本は同じ、育児は最初の、介護は最後の「親子関係の構築」です。やり方は、100世帯有れば100通りのやり方が有ると思います。だからこそ余計に、メディアが「介護」ばかりを、特別なもの、厄介なものとしてクローズアップしないで下さい。』(匿名希望さん)
『育児の多くは期間が予想できる。我が子の未来のためにというインセンティブも働くことが多いと思う。介護は期間が予測できない。人生100年時代となれば、親の介護だけでなく祖父母の介護も請け負わなければならない可能性すらある。人生の一定期間の子育ては親の義務だと思うが、100年も生きる親や祖父母の介護は子孫の義務だろうか?格差社会低賃金で自らの学資ローンを払いながら介護も期待される、子や孫世代の負担にも目を向けてほしい。』(匿名さん)
『介護と育児を同列にはできないなぁー。単純な言葉で言うなら、こどもはズバリ小さくて可愛いし成長するし、体臭や便臭もキツくないし。(高齢者の「可愛さ」はまた別次元の話。)育児がラクとかはではないですよ。でもこの現在の社会では、やはり介護には育児とは別次元の大変さがあると思うし、施設やサービスは必須な選択肢だと思う。』(匿名さん)
YOUの発言に共感も…
『言いづらい風潮のある中、よくぞ言ってくださいましたという感謝の気持ちでいっぱいです。大体にして「金も手も出さず口だけ出す」人が多すぎです。「今まで育ててもらって何の恩も感じていないの」「母さん(父さん)がかわいそうだと思わないのか」恩だって感じてますし、気の毒だとは思ってますよ!でも、自分たちが満足な生活を営むことを放棄してまで介護はできません。まあ、かわいそうだと思わないのか?という人に限って、「じゃあ、兄さん(姉さん・妹・弟)のところで面倒見てあげてよ」というと、ゴニョゴニョ言い訳して、自分も逃げようとするんですよね。金銭的援助もしてくれないし。自分にできないことを人にやらせようとしないで。』(まゆりさん)
『YOUの意見に賛成だ。しかし、YOUはまだ収入とかが良いから、親を施設に入れられるが、そういう人ばかりではない。親の介護のために自分の残りの人生を犠牲にしなければならないなら、死んだほうがまし。だから施設に入れるのは当然。自分で自分のことができなくなったら、もうそうするしかない。最後の望みなんざ、他人に御構い無しの自己満足以外で何者でもない』(分かるさん)
『YOUさんの一言をインターネットで見たとき、衝撃の電気が体をかけめぐりました。勇気でました。今まで自分の自己満の為に何でも親の世話をしてきましたが、大嫌いな父で関わる度に私の持病(不整脈の発作)がでていました。YOUさんの意見が私を一歩前に進歩させてくださいました。<中略>今度は私が息子や娘の邪魔者にならないように自分は自分の責任をとる番です。』(はなわるさん)
お金の問題も…
『みんなお金持ちなんだな!私は普通に面倒みてました。今思うのは悔いはないと言う事ですね。だって自分も老人になるんだから、皆さんもね。同じようにブーメランで戻ります。』(太郎さん)
『お金ある、ないでも施設の対応変わるのに(預けられる期間とか)驚いた。お金ある人は、選択肢あって羨ましい。』(元気になってもらいたいさん)
『結局は、どちらでやろうが「お金」という問題からは縁切りできない。プロに任せればお金、家で介護したら収入が減る・無い。いずれにせよ、介護される側が若い身分からそれなりの蓄えをして家族へ迷惑かけない事。』(つくしさん)
『在宅看取りをやりましたが、その感想。在宅看取りのもっとも良い点は、お金が安く抑えられることです。これは、生活保護を受けるような低所得者を対象とした意味ではないです。厚生年金を受けている、もしくは厚生年金の遺族年金を受けているような高齢者が、おいそれと施設には入れないと言う現実があります。一定以上の資産や預金がなければ、民間の施設では選択肢がなく、特養は待ち時間が長く、病院は3ヶ月以上の入院はできず、老健でも半年が限界です。<中略>親の介護のために同居は、現在ではほとんどデメリットしかありません。お金があるなら、良い施設を選び、足繁く通ってあげるのがベストです。もしくは自宅で1人で自由に暮らせる間(排便が自分でできる間)は在宅で軽度な介助の元で暮らし、そこを過ぎたら施設でと言う事で準備しておくことが良いと思っています。施設に入る期間を短くすることで、限られた資産を有効活用して、なるべく良い環境の施設を選ぶことができるでしょう。』(在宅看取りしましたけどねさん)
施設もさまざま…
『父が介護施設に入りましたが、ベッドから落ちて手の骨を折ったり、額を床にぶつけてたんこぶができるなどを繰り返しています。職員さんがいても、すべての利用者にまで目が届かないですね。また、他の利用者さんと雑談してみると、食事で出される量が少ないのでお腹が空くようです。なかなかたいへんですね。』(なおさん)
『施設に入れば、寝たきり、栄養状態の悪化とのいけんもありますが、それは、ひと昔もまえのはなし。施設でのリハビリもありますし、いろうなんて、リスクが高くあまりすすめません。
介護はプロにまかせ、家族は面会で精神面のサポート。施設側は、むしろ、家族への働きかけを積極的にしています。』(ななしさん)
『施設介護、そんなにダメでしょうか?選択肢の1つではないのでしょうか?在宅で看取りまでみることも素晴らしいですが、共倒れを招いたり、時に互いの負担になることもあります。施設と病院で働き、病院で祖母を看取った経験はありますが、家族に看て欲しい人、負担になる、気兼ねがあるから看て欲しく無い人、色んな家族、利用者の形を見てきました。多様化される価値観に、あれが良くてこれはダメと決めつけるのではなく、柔軟に、家族の介護される人、する人、お互いが譲歩しながら納得する形になれば、別に施設が在宅が、とこだわる必要は無いのでは?と思います。また、施設によっては本当に心を込めて介護にあたっている素晴らしいところもあります。在宅で程よく介護をするために、月に一度はレスパイトで短期入所を利用される方もおられます。親を施設に入れることに、躊躇いや葛藤を持たれる方も多くいらっしゃいますが、私は軽薄とも間違いとも思いません。』(あどみんさん)
介護のプロの立場から…
『在宅で親御さんの介護をされる娘さんやお嫁さんが「優しくなれない。」「自分が鬼になったのかと思う。」と涙ぐまれることがあります。一対一はかなりきついです。まして昔のお元気な頃の親御さんをご存知であるご家族が介護をするというのは、切なく、辛いことであると思います。施設に入所して頂くことで一定の距離が出来る、そこから新しい関係性を作ることも出来ます。その為に施設はあるのだ、私たちはいるのだと考えています。ただ気をつけて欲しいのは、施設入所がゴールではないということです。施設の入所して頂いて、日常の介護は私たちがさせて頂きますが、やはり私たちは家族にはなれないのです。精神面の支えになって頂くのみならず、施設の内情も見て頂きながら、そのなかでどのようなケアをするのか、最期をどのように迎えるのかを決定する…等、ご家族にしか出来ないことは多々あります。在宅サービスにしろ、施設サービスにしろ、利用しながら「共に看る」という視点を持って頂けると、働く側としてはありがたいなあと思います。』(施設のケアマネさん)
理想と現実に…
『自宅介護 施設介護 どちらも必要。50/50で 介護が おこなわれるのが 理想的かなと 思う。』(エアダスターさん)
『父を家で世話していました。要介護2の時です。家もリフォームして万全を尽くしました。ケアマネさん、その他様々な方、環境に助けてもらってです。でも、どれだけ精一杯やっても一定期間になると家族も疲れてくる、父も気を遣うようになる。結果少し疲労骨折になり施設に本人の希望で入りました。他人のプロの方がなんでも言いやすいんだそうです。気が楽だし似たような人と話せるから楽しいんだとか。それぞれのご家族で違うと思います。公言されるのは構わないと思います。それぞれですから。』(ふいさん)
『父亡き後、私も弟も結婚して家を出、独り暮らししていた母が60歳前で若年性アルツハイマーになりました。在宅、通所、交互で泊まり込みなどしてましたが、入所しなければ家族の誰かが仕事を辞めて24時間面倒を看るしかないまでに病気が進行していき、長い施設の空き待ちを経て入所しました。周りは母の親世代の方ばかりで面会の度に心苦しかったです。自分が赤ちゃんだった頃は同じことを親がしてくれたとか認知症になっても感情はあるとか精神論や理想をいえばきりがないです。でもそれに囚われていては経済的、精神的、肉体的に追い詰められることは間違いないです。メディアで取り上げられるのは明るく前向きに介護している家族ばかり。それはそれで立派だと思いますが、そうあらねばならないというのは違うのでは、と思います。』(レオさん)
子供の未来のために…
『主人の両親の介護経験者です。睡眠が2時間~3時間の生活で胃潰瘍になりお医者さんから入院を勧められたのですが、子供も小さく、通院2年かかりました。経験者だけに YOUさん発言がとても分かります。そして 自分たち夫婦も 子供達に同じ思いをさせたくなのです。』(太郎ママさん)
『先日、母を送りました。介護は色々な物をこじらせます。人間関係とくに母方の親戚。金銭のこじれはお金が有る無しに関係なくこじれます。有れば有ったで相続問題、無ければ介護費用の問題。母方の親戚は手やお金は出さなくても口はこれでもかと言うほど出して来ます。施設に入れたいと言えば可哀想、オムツが濡れていれば可哀想、品数が少ない食事は可哀想、可哀想のオンパレードです。結局何をしても良く言われる事はありませんでした。姉妹が多いと尚更ですよ。お金を出してくれる必要は全くありませんが、働きながら先の見えない介護をしている人に難癖は付けて欲しくないし、手伝えないなら放っておいて欲しいのが本音でした。(中略)介護する側はとにかく休みたいんですよ。心も身体も休みたい。私は出来るならピンピンコロリが理想です。子供に多くの事を背負わせたくないですね。』(はなさん)
『子供の人生壊すくらいなら、私は是非施設にお願いしたいですね。年取ったら認知症になるものとして、なったときは、どうしてほしいか書面で残しておかないとって思うこの頃。自分が認知症になった時、きっと施設入居を猛烈に拒否すると思うから』(還暦さん)
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ここには掲載できなかったコメントもたくさんある。「介護」のあり方に正解はないのかもしれないが、国は団塊の世代が75才を迎える2025年を目処に「地域包括ケアシステム(※)」の構築を推進し、介護は住み慣れた地域で行われることを目指している。公的な介護施設の数が限られている中、介護を担う家族の悩みは増える一方。介護はプロに、施設に任せたい…。そう願ったとしても、現実は簡単ではないようだ。
※詳しくは厚生労働省HPを参照:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/
文責/介護ポストセブン編集部
●親の介護でYOUの発言が話題!「どこか施設に入って」に学ぶこと