兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第166回 禍福はあざなえる縄のごとし】
ライターのツガエマナミコさんが若年性認知症を患う兄との暮らしを綴る連載エッセイ。今回は、久しぶりに兄の主治医、ドラマ『白い巨塔』に登場する財前五郎医師のごとく冷徹な財前先生(仮)の診察を受けた日のお話。財前先生(仮)の塩対応がかすんでしまうほどの心労がマナミコさんを襲ったのです。
* * *
外出先のトイレで大変な状況に
2か月に一度の兄の受診日でございました。
診察室に入室してすぐ、兄があごにマスクをしているのを見た財前先生(仮)は「マスクをしてください」という強めの声でおっしゃいました。兄がマスクをどうしたらいいのかわからなくてあたふたしていると重ねて「マスクをしてください、マスク!」とおっしゃり、プチパニックになった兄はマスクを耳から外して取り去ってしまいました。
兄は相手の言っている意味を理解できないことが増えてまいりました。だいたい雰囲気で乗り切っているのでございます。先生の強い言葉に焦って頭が混乱した様子がわたくしにはよくわかりました。
そんなひと悶着があって始まった問診は
財前先生(仮)「お変わりありませんか?」
わたくし「特にありません」
財前先生(仮)「急に怒ったり、イライラして乱暴になったりはしませんか?」
わたくし「それはぜんぜんありません」
財前先生(仮)「そういうことがあったら、また違うお薬を出しますので言ってください」云々…
という相変わらずの2分間診療でございました。
〆のセリフは「次回はどうしますか?12週間後でもいいですよ」とのご提案でした。あまり変化がないので気を利かせてくださったのかもしれません。次回は3か月後となりました。
それはそうと、たまの外出で怖いのはトイレでございます。
診察の待ち時間に兄をトイレに連れていくと、電気を点けるだけでも一苦労。電気が点いたと思ったら便器を指さし「ここでいいの?」と言った矢先、ドアを開けたままおもむろにズボンを下ろしてしまうありさま。わたくしがあわててドアを閉めるように促し、御用を済ませて出てきた後は、わたくしが便器の水を流し、手洗いを促しました。手を拭くための備え付けのペーパーの場所もイチイチ教えなければわかりません。最後に「電気消して」と言っても、もう覚えていません。「ドア開けてすぐの、壁にスイッチあるでしょう?」と言っても「ここ?」「これ?」と見当違いばかり。視界には入っていても電気のスイッチと認識できないのでございます。
問題は、薬局でも起こりました。
調剤薬局で順番を待ってお薬を購入し、2人して帰り際にお店のトイレをお借りした時でございます。わたくしが御用を済ませて出てくると、兄はすでに男子トイレの前で待っている状態でした。病院のトイレ同様、ここでも流していないだろうと、男子トイレに入っていき便器の蓋を開けてみるとしっかりキレイではありませんか。「流せたんかい」とホッとしたのもつかの間、手洗いを促しましたところ、えらいものを発見いたしました。
我が家の洗面所でよく見るお尿さまの痕跡でございます。
「ここでやったんかいっ!」と猛烈にがっくりいたしました。備え付けのペーパーを数枚使って流し淵のお尿さまをふき取り、お水で流せるところはお流しいたしました。初めてだと思いたいですが、これまでイチイチ点検してこなかったのでなんともわかりません。
わたくしは今後、外出先で毎回男子トイレに入って手取り足取りしなければいけないのでしょうか?
リハビリパンツを穿かせても「トイレに行きたい」と言われたら行かせるほかはございません。兄との外出がますます憂鬱になってまいりました。
そういえば、このイラストを描いてくださっているなとみみわ先生の短期集中連載「ばあさんとわたし」がバカ面白くて三度見いたしました。いや、本当に天才。兄がボケてしまったことは災難ですが、なとみ先生にイラストを描いていただけたことは幸運。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ